マーティー・ワイルドとの共作
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「ロニー・スコット (ソングライター)」の記事における「マーティー・ワイルドとの共作」の解説
1966年、スコットが勤めていた芸能事務所ジョージ・クーパー・エージェンシー (The George Cooper Agency) には、彼がマネージャーだったザ・バイスタンダーズ(The Bystanders:Manの前身バンド)や、マーティー・ワイルドが所属していた。スコットは多数の楽曲を書き、中には単独で書いたものもあったが、大部分はワイルドとの共作であり、できあがった楽曲のデモテープはザ・バイスタンダーズが録音していた。そのうち、単独で書いた「Royal Blue Summer Sunshine Day」(1967年)と、共作した2曲「Have I Offended The Girl」(1966年)と「When Jesamine Goes」(1968年:Frere Manston and Jack Gellar という変名で発表)がシングルとして発売されたが、いずれもヒットしなかった。このうち「When Jesamine Goes」は、ザ・カジュアルズ(英語版)がカバーし、曲名を「Jesamine」として発表したところ、1969年の遅い時期に全英シングルチャートで最高2位まで上昇した。 スコットとワイルドが共作した楽曲は、幅広く様々なミュージシャンたちが取り上げており、ステイタス・クォーの2枚目のアルバム『Picturesque Matchstickable Messages from the Status Quo』に収録された「Ice in the Sun」、「Elizabeth Dreams」、「Paradise Flat」や、ルルの「I'm a Tiger」(1968年)、ワイルド自身の「Abergavenny」(1968年:作者として Manston と Gellar もクレジットされており、1969年にはワイルドが Shannon 名義でリイシューした)。 ワイルドとスコットは、1970年3月18日に『The Wednesday Play』の番組枠で放送されたアラン・オーウェン(英語版)のテレビ劇『No Trams to Lime Street』で使用した楽曲を作詞作曲した。 ザ・バイスタンダーズは再編されてマン(英語版)に発展したが、スコットはそのままマネージャーを続け、彼らは週に3回のセッションを続け、その中から、ステイタス・クォーの求めに応じて提供した「Down the Dustpipe」などが生まれた。マンは、1969年にスコットのマネジメントから離れた。
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