マリー・オズモンドのバージョン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/19 03:11 UTC 版)
「ペーパー・ローゼズ」の記事における「マリー・オズモンドのバージョン」の解説
兄弟であるオズモンズに随行しツアーなどで歌っていたマリー・オズモンドは当時13歳であったが、1973年にソロとしてデビューすることを決意する。彼女は兄弟たちとは音楽的な方向性が異なることを自覚しており、カントリー・ミュージックの世界に進むことを考える。やがてロサンゼルスのMGMレコードと契約を交わした。 レコード会社重役のマイク・カーブは、兄のダニー・オズモンドがソロ・デビューにあたって「ゴー・アウェイ・リトル・ガール」「パピー・ラブ」などのオールディーズもののカバーで成功を収めたという例があることから、マリーにも同じアプローチをすすめた。カーブが彼女のデビュー・アルバムのためにカントリー・ソングを探しているときに、ニタ・ブライアントの「ペーパー・ローゼズ」を提案したのはプロデューサーのソニー・ジェームズであった。 1973年8月25日、アルバムの先行シングルとして発売。当時の日本の邦題は「幸せのバラ」だった。B面は「オール・ユー(Least of All You)」。同年9月22日発売のアルバム『Paper Roses』に収録された。桜田淳子もこの邦訳で日本語カバーを歌っている。 ビルボードのカントリー・チャートならびにイージーリスニング・チャートでともに1位を記録。ビルボード・Hot 100でも11月3日から11月10日にかけて2週連続で5位を記録した。カナダのカントリー・チャートで1位、全英シングルチャートで2位を記録するなど大ヒットとなり、シングルもアルバムもそれぞれゴールドディスクに輝いた。マリーはこのデビューシングルによりカントリー・チャートの最年少(14歳)1位の記録を打ち立てた。 この成功の勢いに乗って彼女のセカンド・シングルに選ばれたのは、これもアニタ・ブライアントが歌った「In My Little Corner of the World」であった。
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