マリーベル
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マリーベル
- マリーベル (山智子の漫画) - 山智子の漫画。『月刊プリンセス』1977年10月号から1978年3月号まで連載。
- マリーベル (上原きみ子の漫画) - 上原きみ子の漫画。『少女コミック』に1978年から1980年まで連載。
- マリー・ベル - フランスの映画女優。1900年12月23日 - 1985年8月15日。
- 花の魔法使いマリーベル - 1992年2月3日から1993年1月18日にかけて、テレビ東京系列で放映されたテレビアニメ。
マリー・ベル
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マリー・ベル Marie Bell |
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1956年撮影
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本名 | マリー・ジャンヌ・ブロン Marie-Jeanne Bellon |
生年月日 | 1900年12月23日 |
没年月日 | 1985年8月15日(84歳没) |
出生地 | ボルドー南郊、ベグル |
国籍 | ![]() |
職業 | 女優 |
活動内容 | 演劇・映画 |
配偶者 | ジャン・シュヴリエ (Jean Chevrier) |
主な作品 | |
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マリー・ベルは、フランスの著名な舞台女優、映画女優、そして劇場支配人である。特に、ジャック・フェデー監督の『外人部隊』やジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『舞踏会の手帖』といった映画作品を通じて日本でも知られる存在である。
生涯
マリー・ベルは1900年12月23日、ボルドー南郊のベグルに本名マリー=ジャンヌ・ベロンとして生まれた。彼女の父はアイルランド人であったため、幼少期はボルドーとイギリスを行き来して過ごした。
1913年、ダンサーとして活動していた際に、女優コロンナ・ロマノに勧められ、フランス国立演劇学校(コンセルヴァトワール)を目指したと伝えられている。1921年にコンセルヴァトワールをマドレーヌ・ルノーと共に首席で卒業し、揃ってコメディ・フランセーズの準座員(pensionnaire)となる。1926年には、アルフレッド・ド・ミュッセ作『若い娘は何を夢みるか』で共演した。1928年には同劇団の正座員(sociétaire)に昇格した。
1935年からはアンバサドゥール劇場(Théâtre des Ambassadeurs)の監督を務めた。第二次世界大戦中のナチス・ドイツ占領下では、フランス・レジスタンスに参加し、国民劇場戦線(Front national du théâtre)の9人の理事の一人として活動した。この功績により、シャルル・ド・ゴール大統領からレジオンドヌール勲章を授与されている。
コメディ・フランセーズでは、1941年にラシーヌ作『フェードル』のフェードル役、1943年にはポール・クローデル作『繻子の靴』のプルエーズ役を演じた。1944年のパリ解放後には、コメディ・フランセーズの運営委員会委員となった。1945年、同劇団の改革に異議を唱えて退団したが、1948年には名誉正座員(sociétaire honoraire)として復帰し、1954年まで定期的に舞台に立った。
1962年、62歳でジムナーズ座(Théâtre du Gymnase)の支配人となり、コメディ・フランセーズ時代からの当たり役である『フェードル』を同劇場でも上演した。アンドレ・マルローは、1965年に「マリー・ベルのフェードルを観ることは、フランスの本質を知るまたとない機会である」と激賞した。
1969年にはカンヌ国際映画祭の審査員を務めた。
1953年4月2日に、コメディ・フランセーズの正座員であった俳優ジャン・シュヴリエ(1915年 - 1975年12月13日没)と結婚した。夫妻は1968年に映画『フェードル』を制作している。
マリー・ベルは1985年8月14日、パリ西郊のヌイイ=シュル=セーヌで死去した。夫ジャン・シュヴリエと共にモナコの墓地に眠っている。彼女の死後、ジムナーズ座は「ジムナーズ・マリー・ベル」劇場と改称された。生涯で約40本の映画に出演している。
舞台の記録
マリー・ベルの演目は、古典から現代劇まで多岐にわたる。代表的な出演作品は以下の通りである。
- ウィリアム・シェイクスピア作『アントニーとクレオパトラ』
- ピエール・コルネイユ作『ル・シッド』
- モリエール作『人間嫌い』
- ジャン・ラシーヌ作『フェードル』
- ヴィクトル・ユゴー作『ルイ・ブラス』
- アルフレッド・ド・ミュッセ作『若い娘は何を夢みるか』(À quoi rêvent les jeunes filles)
- アンリ・ベック作『鴉の群れ』(Les Corbeaux)
- エドモン・ロスタン作『シラノ・ド・ベルジュラック』
- ポール・クローデル作『繻子の靴』
- アンリ・ベルンスタン作『秘密』(Le Secret)
- ジャン・コクトー作『ルノーとアルミード』
- ジャン・アヌイ作『囚人ありき』(Y avait un prisonnier)
- ジャン・ジュネ作『バルコン』
出演した劇場には、コメディ・フランセーズ、制作座(La Théâtre de l'Œuvre)、アンバサドゥール劇場、マドレーヌ劇場(Théâtre de la Madeleine)、ジムナーズ座、サン=マロ演劇祭(Festival d'Art Dramatique de Saint-Malo)などがある。
日本に公開された映画
以下は日本で公開された主な出演映画である。カッコ内の左側の数字は作品の公開年、右側の数字は日本での初公開年を示す。
- 1924年、1928年:『巴里』(Paris)
- 1933年、1936年:『装へる夜』(L'homme à l'Hispano)
- 1933年、1935年:『外人部隊』(Le grand jeu)
- 1937年、1938年:『舞踏会の手帖』(Un carnet de bal)
- 1939年、1940年:『幻の馬車』(La charrette fantôme)
- 1963年、1967年:『いっちょう頂き』(La bonne soupe)
- 1965年、1982年:『熊座の淡き星影』(Vaghe stelle dell'Orsa)
出典
いろいろなウェブ情報のほか、
- パトリック・ドゥヴォー(伊藤洋訳)、コメディ=フランセーズ、文庫クセジュQ772、白水社(1995) ISBN 9784560057728
- 中田耕治:ルイ・ジュヴェとその時代、作品社 (2000) ISBN 9784878933530
- 鈴木信太郎:フランス座の俳優たち(「鈴木信太郎:記憶の蜃気楼、講談社文藝文庫(1991) ISBN 9784061961128」中の一篇)
外部リンク
- 容姿
- Marie Bell - IMDb
- マリー・ベル- allcinema
マリーベル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 10:20 UTC 版)
「ルイ・アントワーヌ・ド・サン=ジュスト」の記事における「マリーベル」の解説
舞台女優を目指す主人公の少女・マリーベルの生き別れの兄という設定で登場。サン=ジュストに妹がいたという説は通説となっていないが、作者の上原きみ子によれば執筆資料として探したある本に「サン・ジュストには異父姉がふたりいた」との記述があり、その本を基にして設定したのだという。
※この「マリーベル」の解説は、「ルイ・アントワーヌ・ド・サン=ジュスト」の解説の一部です。
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