マスターネット(後のゼロ)での経営
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 23:31 UTC 版)
「西久保愼一」の記事における「マスターネット(後のゼロ)での経営」の解説
マスターネットは明治乳業(現:明治)の100%子会社として設立され、通産省が推奨していたJUST-PC手順の通信方式でパソコン通信を提供していた。Nifty-serve(現:ニフティ)やPC-VAN(現:ビッグローブ)に押され劣勢に立っていたため明治乳業は清算を決定。1993年、西久保がマスターネットの全株式を引き受けた。当時マスターネットの会員数は実質7,000人程度。経営を引き継ぐと同時にホストコンピュータを入れ替え、通信形式は全二重形式に変更。 パソコン用通信カラオケ「Singる(シングル)」を開発・販売。Windows95の波に乗り、各パソコンメーカーが出荷前の設定ソフトウェアとして採用したため会員数は20万人に増加。業績は回復。店頭市場(現:ジャスダック)への株式公開を果たした。 NTTドコモと共同で開発した低料金メールサービスの10円メールはドコモの販売力によって爆発的に売れ会員数100万人を達成。しかしドコモがiモードを始めたことで会員数は急激に減少した。 2000年から月額基本使用料が無料のインターネットプロバイダ・ZEROを開始。社名もゼロに変更。約30億円の広告費をかけ販売を展開するが不調に終わり、1年後に有料化した。
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