マサム家(第1期)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/03 13:54 UTC 版)
マサム家は16世紀後半にまでその歴史を遡ることができる旧家である。マサム家の祖サー・ウィリアム・マサム(英語版)(1592?-1656?)はエセックス選出の第一護国卿議会議員として活動し、1621年に(エセックス州ハイレヴァーの)準男爵(Baronet, of High Lever in the County of Essex)に叙せられた。その後準男爵位は順当に初代準男爵の系統で継承されていった。 3代準男爵フランシス(1646?-1723)ののちは彼の八男サミュエルが準男爵位を相続した。 4代準男爵サミュエル(1679?-1758)が廷臣であった時期、イギリスはアン女王戦争及びスペイン継承戦争を続けていた。後年、その講和条約であるユトレヒト条約を批准する際に大蔵卿ロバート・ハーレーが議会通過のため、女王に12人の議員の新規叙爵を求めた。アンはハーレーの要求を認めたものの、サミュエルの叙爵のみは最後まで渋っていたが、とうとう折れて1712年にグレートブリテン貴族としてオーツのマサム男爵(Baron Masham of Otes)に叙している。しかし、彼の息子サミュエル(1712–1776)には子がなかったため、この爵位はわずか2代にして準男爵位とともに廃絶した。
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