マイク・トムリン
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マイケル・ペッタウェイ・トムリン(Mike Tomlin、1972年3月15日 - )はナショナル・フットボール・リーグに所属するピッツバーグ・スティーラーズのプロアメリカンフットボールのヘッドコーチ。2007年にスティーラーズを指揮して以降、チームを11回のプレーオフ、7回の地区王者、3回のAFCチャンピオンズゲーム、2回のスーパーボウルへの進出、そして2008年のスーパーボウル制覇へチームを導いた。36歳でのヘッドコーチとしてのスーパーボウル制覇は当時としては最年少記録である(後にショーン・マクベイが2021年に更新)。
若い頃
トムリンはバージニア州ハンプトンに次男として生まれた。兄のエディは3歳半年上である。父のエド・トムリンは1960年代にハンプトン大学でフットボールをプレー、ボルティモア・コルツにドラフトされ、その後はカナディアン・フットボール・リーグのモントリオール・アルエッツでプレーした。父はフロリダにて2012年1月に心臓麻痺によって63歳で逝去した。しかしトムリン自身は実父についてはあまり覚えておらず、トムリンが6歳の頃に実母ジュリアと結婚した養父レズリーによって育てられた。
トムリンは1990年にヴァージニア州デンバイ高校を、1995年にウィリアム・アンド・メアリー大学社会学部を卒業した。大学在学中はカッパアルファサイ(フラタニティ)に所属し、またワイドレシーバーとしてヤンキーカンファレンスの優秀選手表彰をされている。
コーチとして
大学フットボール
トムリンのコーチとしてのキャリアは1995年にヴァージニア軍事大学にてワイドレシーバーコーチより始まった。その後はメンフィス大学やテネシー大学、アーカンソー大学、シンシナティ大学で主にWRやDBのコーチとして勤務した。
NFL
ポジションコーチ
トムリンはDBコーチとしてタンパベイ・バッカニアーズに2001年に採用され、Tampa 2といったディフェンス様式を学んだ。
バッカニアーズでは次のヘッドコーチの下でもディフェンシブコーチとして働き、バッカニアーズはNFL内で最も守備の強い(試合毎の与ヤード数がリーグ内にて最小)チームとなった。ディフェンス陣は2005年までの間で6位未満の順位になったことがない。バッカニアーズが2003年のスーパーボウル制覇をしたときもスーパーボウルでの新記録となる5つのインターセプト(うち3つはTDに成功)を達成した。
守備コーディネーター
トムリンはその後ミネソタ・バイキングスにて2006年より守備コーディネーターを担当した。
バイキングスの選手のうちの二人はトムリンよりも年上で、ダレン・シャーパーはトムリンの大学時代のチームメイトでもあった。結果的にバイキングスの守備は全体8位の成績を収めた。しかしランディフェンスは1位であったのに対し、パスディフェンスはリーグ最下位となった。
ヘッドコーチ

2006年シーズンを終え、トムリンは空席となっていた2005年のスーパーボウル覇者のヘッドコーチのポジションを巡ってピッツバーグ・スティーラーズと面談をした。わずか1年の守備コーディネーターとしての経験しかなかったが、2007年1月27日にビル・カウワーの後任に就任した。
トムリンは歴代で10人目のアフリカ系アメリカ人のNFLのコーチとなった[1]。
彼の契約内容については公開はされていないものの、ピッツバーグの地方紙 (The Pittsburgh Post-Gazette) によれば4年1000万ドルと追加1年のオプションの契約だったとされる。

彼の指揮下では初年度以降18シーズン連続で勝率5割以上で、NFL最長である。また初年度からでなくともトム・ランドリー(21季連続)とビル・ベリチック(19季連続)に次ぐ3番目の記録である。2023年をもってベリチックがペイトリオッツを退団したため、現役のヘッドコーチとしては最も長く連続でシーズンを勝ち越しているヘッドコーチである[2]。

Team | Year | レギュラーシーズン | ポストシーズン | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
Won | Lost | Ties | Win % | Finish | Won | Lost | Win % | Result | ||
PIT | 2007 | 10 | 6 | 0 | .625 | 1st in AFC North | 0 | 1 | .000 | Lost to Jacksonville Jaguars in AFC Wild Card Game |
PIT | 2008 | 12 | 4 | 0 | .750 | 1st in AFC North | 3 | 0 | 1.000 | Super Bowl XLIII champions |
PIT | 2009 | 9 | 7 | 0 | .563 | 3rd in AFC North | — | — | — | — |
PIT | 2010 | 12 | 4 | 0 | .750 | 1st in AFC North | 2 | 1 | .667 | Lost to Green Bay Packers in Super Bowl XLV |
PIT | 2011 | 12 | 4 | 0 | .750 | 2nd in AFC North | 0 | 1 | .000 | Lost to Denver Broncos in AFC Wild Card Game |
PIT | 2012 | 8 | 8 | 0 | .500 | 3rd in AFC North | — | — | — | — |
PIT | 2013 | 8 | 8 | 0 | .500 | 2nd in AFC North | — | — | — | — |
PIT | 2014 | 11 | 5 | 0 | .688 | 1st in AFC North | 0 | 1 | .000 | Lost to Baltimore Ravens in AFC Wild Card Game |
PIT | 2015 | 10 | 6 | 0 | .625 | 2nd in AFC North | 1 | 1 | .500 | Lost to Denver Broncos in AFC Divisional Game |
PIT | 2016 | 11 | 5 | 0 | .688 | 1st in AFC North | 2 | 1 | .667 | Lost to New England Patriots in AFC Championship Game |
PIT | 2017 | 13 | 3 | 0 | .813 | 1st in AFC North | 0 | 1 | .000 | Lost to Jacksonville Jaguars in AFC Divisional Game |
PIT | 2018 | 9 | 6 | 1 | .594 | 2nd in AFC North | — | — | — | — |
PIT | 2019 | 8 | 8 | 0 | .500 | 2nd in AFC North | — | — | — | — |
PIT | 2020 | 12 | 4 | 0 | .750 | 1st in AFC North | 0 | 1 | .000 | Lost to Cleveland Browns in AFC Wild Card Game |
PIT | 2021 | 9 | 7 | 1 | .559 | 2nd in AFC North | 0 | 1 | .000 | Lost to Kansas City Chiefs in AFC Wild Card Game |
PIT | 2022 | 9 | 8 | 0 | .529 | 3rd in AFC North | — | — | — | — |
PIT | 2023 | 10 | 7 | 0 | .588 | 3rd in AFC North | 0 | 1 | .000 | Lost to Buffalo Bills in AFC Wild Card Game |
PIT | 2024 | 10 | 7 | 0 | .588 | 2nd in AFC North | 0 | 1 | .000 | Lost to Baltimore Ravens in AFC Wild Card Game |
Total | 191 | 109 | 2 | .636 | 8 | 11 | .421 |
人物
- のちに夫人となるキヤとは大学時代に出会い、3人の子どもとともにSquirrel Hillに住んでいる。
脚注
- ^ “Tomlin deflects controversy with easy manner” (英語). ESPN (2007年5月14日). 2025年4月1日閲覧。
- ^ “NFL coaches with the most consecutive non-losing seasons” (英語). ESPN (2024年12月3日). 2025年4月1日閲覧。
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