ボールと鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 04:09 UTC 版)
1891年4月19日、速達郵便列車である「No.4」が湖岸サザンミシガン鉄道を西からオハイオ州キプトンに向け走行していた。エリリアを出発してからキプトンで郵便列車と衝突事故が起こった。この時アコモデーション号の車掌は、ポケットに入っている時計で時間を確認しなかった。しかし、その機関士が当日持っていた時計は4分間遅れていた。このことが生死を分けることになった。両列車の機関士、乗務員6名が大破炎上した郵便列車の犠牲となった。 この事故をきっかけに湖岸鉄道の当局者はボールに同鉄道の全線にわたって「時間と時計」の状況を調査させ、それらを正確に運用するためのシステムを開発するよう要請された。早速、ボールは車掌、機関士、駅係員等の鉄道事業で使用されている全ての時計を優秀な時計職人の手によって検査させ、標準時との誤差が30秒以上ある時計に関しては調整を義務付ける等、数多くの規定を設けた。このシステムが広範囲の地域で初めて成功したものである。鉄道時間の基礎を築いたのはボールであり、これにより、正確で統一された時間管理が確立された。どのような状況でも正確な時間が求められる鉄道時間と鉄道時計である。
※この「ボールと鉄道」の解説は、「ボール・ウォッチ」の解説の一部です。
「ボールと鉄道」を含む「ボール・ウォッチ」の記事については、「ボール・ウォッチ」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書からボールと鉄道を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書からボールと鉄道 を検索
- ボールと鉄道のページへのリンク