ボーブリンスキー家と事業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/12 09:50 UTC 版)
「ボーブリンスキー家」の記事における「ボーブリンスキー家と事業」の解説
アレクセイ・ボーブリンスキーの後を継いだのは、アレクセイ・アレクセーエヴィチ・ボーブリンスキー(1800年 - 1868年)である。 ボーブリンスキー家は南ロシア最大の製糖業者に成長したが、彼はボーブリンスキー家の製糖事業の創始者として知られている。アレクセイ・アレクセーエヴィチは短期間、法廷での勤務の後、官職を辞し、領地のボゴロディツクに落ち着き、同地にロシア最初の製糖工場を建設した。さらにアレクセイ・アレクセーエヴィチは、製糖事業をウクライナへ拡大し、ボーブリンスキー家は様々な農業に事業を展開し、家の富を増していった。結果的にロシアが砂糖を外国から輸入せずに国内で生産できるようになったのはアレクセイ・アレクセーエヴィチ・ボーブリンスキーの功績といえる。さらに彼は経済理論に関する論文を発表し、鉄道の敷設が社会開発に繋がると力説した。そして、ロシア国内最初の鉄道建設に資金を融資した。ボーブリンスキーのロシア経済への貢献は、キエフに銅像が建立されるという形になって顕彰されている。 ボーブリンスキー家は、ロシアにおける大多数の他の貴族とは異なり、1861年の農奴解放令以後も、その事業は殷賑を極めた。製糖業に加えて、トゥーラ近郊で自費で石炭採掘を開始し、国内の鉄道網建設を援助した。アレクセイ・アレクセーエヴィチに次男、ウラジーミル・アレクセーエヴィチ・ボーブリンスキー伯爵(1824年 - 1898年)は、1868年から1871年まで鉄道大臣を勤めた。そして、彼のいとこ、アレクセイ・パーヴロヴィチ・ボーブリンスキー伯爵(1826年 - 1894年)が後任の鉄道相を襲った。
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