ボジクヨージェフとは? わかりやすく解説

ボジク・ヨージェフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/20 20:02 UTC 版)

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この項目では、ハンガリー語圏の慣習に従い、名前を姓名順で表記していますが、印欧語族風にヨージェフ・ボジクと表記することもあります。
ボジク・ヨージェフ
1958年のボジク
名前
愛称 Cucu
ラテン文字 Bozsik József
基本情報
国籍  ハンガリー
生年月日 1925年11月28日
出身地 ブダペスト
没年月日 (1978-05-31) 1978年5月31日(52歳没)
選手情報
ポジション MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1943-1962 キシュペストAC /ホンヴェード 477 (33)
代表歴
1947-1962 ハンガリー 101
監督歴
1966-1967 ホンヴェード
1974 ハンガリー代表
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ボジク・ヨージェフBozsik József, 1925年11月28日 - 1978年5月31日)は、ハンガリー出身の元サッカー選手、サッカー指導者、政治家。ポジションはミッドフィールダー

経歴

1950年代マジック・マジャールと呼ばれたハンガリー代表では右ハーフとしてプレーし、中盤の指揮官としてパス能力とリーダーシップを発揮して攻撃陣を束ねる[1]と共に下がり気味のフォワードを務めるナーンドル・ヒデクチを支援した[2]

ボジクは11歳でキシュペストAC(後のブダペスト・ホンヴェードFC)のユースチームに入団すると、1943年ヴァシャシュSC戦でトップチームデビューをした。クラブは、その後、陸軍のクラブ「ホンヴェード」として生まれ変わったが、フェレンツ・プスカシュらと共に5度のリーグ制覇(1949年1950年1952年1954年1955年)に貢献。1956年ハンガリー動乱後もクラブに留まり、1959年ミトローパ・カップ優勝に貢献するなどリーグ戦447試合出場33得点を記録した。

ハンガリー代表としては、1947年8月17日ブルガリア戦で代表デビューをすると[3]1962年4月18日ウルグアイ戦で代表から引退するまで国際Aマッチ101試合出場11得点を記録した[3]。ボジクは1952年ヘルシンキオリンピック金メダル、1954年FIFAワールドカップ・スイス大会準優勝に貢献した。1953年ウェンブリー・スタジアムで行われたイングランドとの親善試合にも出場した。この試合でボジクは巧みなパスワークでイングランドを翻弄し、50分にミドルシュートから5点目の得点を決め6-3の勝利に貢献した[3]

現役引退後は政治家として活動する一方で、古巣のホンヴェードの取締役に就任した。同クラブの監督として1966年1月から1967年9月の間に47試合を指揮した[3]。その後、1974年にハンガリー代表監督に就任したが、健康上の問題のため短期間で退いた[3]

1978年5月31日心不全により死去、52歳没[1]。生前の功績が称えられ、ホンヴェードのホームスタジアムは「ヨージェフ・ボジク・スタジアム」と改称されている[1]

脚注

  1. ^ a b c 週刊サッカーマガジン 編『サッカーマルチ大事典 改訂版』ベースボール・マガジン社、2006年、443-444頁。ISBN 4-583-03880-1
  2. ^ ブライアン・グランヴィル著、賀川浩監修、田村修一、土屋晃、田邊雅之訳『決定版ワールドカップ全史』草思社、1998年、67頁。ISBN 4-7942-0818-9
  3. ^ a b c d e Bozsik II József (1925)”. Aranycsapat. 2012年2月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月15日閲覧。

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