ブザーンスキー・イェネーとは? わかりやすく解説

ブザーンスキー・イェネー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/12 08:22 UTC 版)

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この項目では、ハンガリー語圏の慣習に従い、名前を姓名順で表記していますが、印欧語族風にイェネー・ブザーンスキーと表記することもあります。
ブザーンスキー・イェネー
名前
ラテン文字 Jenő Buzánszky
ハンガリー語 Buzánszky Jenő
基本情報
国籍  ハンガリー
生年月日 (1925-05-04) 1925年5月4日
出身地 ドンボーヴァール
没年月日 (2015-01-11) 2015年1月11日(89歳没)
選手情報
ポジション DF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1946-1947 ペーチVSK  ? (?)
1947-1960 ドロギ・バーニャース 274 (0)
代表歴
1950-1956 ハンガリー 48 (0)
監督歴
1961-1965 ドロギ・バーニャース
1965-1967 エステルゴミ・ヴァシャシュ
1967-1969 ドロギ・バーニャース
1969-1970 エステルゴミ・ヴァシャシュ
1972 フェースペド・サーリットーク
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ブザーンスキー・イェネーハンガリー語:Buzánszky Jenő, 1925年5月4日 - 2015年1月11日)は、ハンガリー出身のサッカー選手サッカー指導者。ポジションはディフェンダー(右サイドバック)[1][2]

経歴

1950年代マジック・マジャールと呼ばれたハンガリー代表の一員であり[3]、クラブレベルでは選手生活の大半をドロギ・バーニャースハンガリー語版で過ごしリーグ戦通算274試合に出場した[3]。また、当時の代表選手の多くがブダペストを本拠地とするクラブに所属する中で、それらのクラブに所属しない唯一の選手だった[3]

ハンガリー代表としては1950年11月12日ブルガリア戦で代表デビュー(試合は1-1で引分け)をすると[4]1956年9月16日ユーゴスラビア戦で退くまで国際Aマッチ48試合に出場した[4]1952年ヘルシンキオリンピック金メダル、1954年FIFAワールドカップ・スイス大会準優勝に貢献した[3]1953年ウェンブリー・スタジアムで行われたイングランドとの親善試合にも出場した[4]

現役引退後は指導者の道へ進み1960年代から1970年代にかけて、古巣のドロギ・バーニャース、エステルゴミ・ヴァシャシュ、フェースペド・サーリットークの監督を務めた[5]1996年にはハンガリーサッカー協会の副会長を務めた[4]

マジック・マジャール最後の存命者だったが[3][5]、晩年は前立腺の問題などを抱え2014年12月に危篤状態となり[6]2015年1月11日に89歳で病没した[5]

脚注

  1. ^ Fájdalmas betegségben szenved Buzánszky Jenő”. 24.hu (2014年9月7日). 2017年3月23日閲覧。
  2. ^ Válogatott: Buzánszky dorogi házánál emléktáblát avattak”. Nemzeti Sport Online (2016年5月7日). 2017年3月23日閲覧。
  3. ^ a b c d e Hungary mourns 'Magical Magyar' Buzánszky”. UEFA.com (2015年1月12日). 2015年1月18日閲覧。
  4. ^ a b c d Buzánszky Jenő (1925)”. Aranycsapat. 2012年2月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月15日閲覧。
  5. ^ a b c Meghalt Buzánszky Jenő”. Blikk.hu (2015年1月11日). 2015年1月18日閲覧。
  6. ^ Kritikus Buzánszky Jenő állapota!”. Blikk.hu (2014年12月16日). 2015年1月18日閲覧。

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