ボアル家説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/07 07:16 UTC 版)
唯一サシ・ブカの事蹟を語る『ムイーン史選』は、上述のように「ノガイの息子サシ・ブカ」と記述する。この「ノガイ」は「ジョチの8男ボアルの息子タタルの息子」とされ、13世紀後半のジョチ・ウルスで右翼の最有力者として活躍した人物に他ならない。ドニエプル川〜ドナウ川一帯の西方右翼ウルスを根拠地とするノガイの息子が唐突に東方左翼ウルス(=オルダ・ウルス)の当主になったというのは不自然に他ならず、あらゆる研究者は一致して「サシ・ブカはボアル-ノガイ家の出身である」という説を事実と見なしていない。 『ムイーン史選』の記述に基づいて系譜を作ると、以下のようになる。 ジョチ(Jöči >朮赤/zhúchì,جوچى خان/jūchī khān)ボアル(Bo’al >بوول/būāl)タタル(Tatar >تاتار/tātār)ノガイ(Noγai >نوقاى/nūqāy)サシ・ブカ(Sasi buqa >ساسی بوقا/sāsī būqā)エレゼン(Erezen >یرزن/īrazan)
※この「ボアル家説」の解説は、「サシ・ブカ」の解説の一部です。
「ボアル家説」を含む「サシ・ブカ」の記事については、「サシ・ブカ」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書からボアル家説を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。

- ボアル家説のページへのリンク