ホール解体に対するアーティストの声
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 18:40 UTC 版)
「フェスティバルホール」の記事における「ホール解体に対するアーティストの声」の解説
解体には反対意見も強く「現在のような音響が実現できるのか」と懸念する者も多かった。 山下達郎は、当ホールの建て替え計画に際して「ここを壊すのはカーネギーホールやオペラ座を壊すのと同じこと。愚行です」と語り、当ホールでのライヴが二度とできなくなるという強い想いから、2008年12月から2009年4月にかけて久々の全国ツアーを決行、殊に当ホールにおいては2008年の12月17・18・27・28日の4日間にわたり公演を打った。 また当ホールでの公演回数最多を記録している(一時閉館時点で202公演)さだまさしは、2008年12月26日に開催した自身にとって閉館前最後となる公演をギター1本の弾き語りで締めくくったが、その公演中に「わたしがもし石油王だったら、うちの庭に移築したんですが…」「いまでも(閉館は)悔しい」とコメントしている。またさだは、アーティスト側の出す音だけではなく、“(客席から演者に対する)拍手の音が客席から滝のように降りてくる(ホール)”とも表現していた。 解体前の初代当ホールを、山下は「まるで大きなライブハウスのよう」と評しており、一方さだは前記の通り「神様がつくったホール」と評している。
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