ホセ・フロイラン・ゴンザレス(アルゼンチン)
ファン・マヌエル・ファンジオに続いて、時のぺロン大統領がヨーロッパに送り出したドライバー。パンパス・ブルの異名が示すように、小柄ながら筋肉質の体から、ステアリングをちぎれるほどに振りまわし、所構わずパワースライドさせる走法で知られた。そのあふれる闘志は、とくに僅差でトップを追い上げるような際に存分に発揮された。欧州へのデビューは1950年、翌日年のイギリスGPでは4.5LV12のフェラーリを駆ってF1初優勝を記録。これはフェラーリにとってのF1初勝利でもあり、それまで最強を誇っていた1.5L過給機付きエンジンのアルフェッタが、初めて自然吸気のエンジンに破れた記憶すべきレースでもあった。また、54年のルマンでもフェラーリを駆ってジャガーDタイプと接戦の末に優勝。だが、同年のドイツGPで友人のオノフレ・マリモンが事故死したことを悲しみ、やがて第一線を退いてアルゼンチンへともどった。
Weblioに収録されているすべての辞書からホセ・フロイラン・ゴンザレスを検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書からホセ・フロイラン・ゴンザレスを検索
- ホセ・フロイラン・ゴンザレスのページへのリンク