ベイナイト
bainite | ||
パーライトが形成される温度と、マルテンサイトが形成され始める温度との間の温度間隔で起こるオーステナイトの分解によって形成される準安定構成物で、炭素がセメンタイトの形を取って微細に析出しているフェライトからなる。
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ベイナイト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 15:55 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ベイナイト(英: bainite、米国の冶金学者エドガー・ベインに由来する)は炭素鋼や低合金鋼の等温保持或いは連続冷却の熱処理により生じる金属組織(相ではない)の一つである。
中間組織(独: Zwischenstufengefüge、英: intermediate structure)または中間段階変態生成物(組織)(独: Zwischenstufen Umwandlungsprodukt、英: intermediate stage transformation products)、或いはその頭文字Zwの語は特にドイツ語圏において「広義の」ベイナイトとほぼ同じ意味で用いられる。これはミクロ組織の生成する温度及び冷却速度がパーライト変態とマルテンサイト変態の間にあることによる。つまりZwは「狭義の」ベイナイトを含む変態組織の総称であるから、Zwの意味でベイナイトを用いるのは適切でない。ドイツ語圏では用語の問題を避けるために、以前からZwと呼ばれてきたのである。
この温度域においては、マルテンサイト変態の急激な結晶構造の変化(無拡散変態)と拡散変態が結びついて、異なる変態機構が起こりうる。冷却速度及び炭素量、合金元素とその結果としての変態温度への依存性から、「広義の」ベイナイトは固有の形態を持たない。ベイナイトには、パーライトと同様にフェライト相(α)とセメンタイト相(Fe3C)が含まれているものの、その形や大きさ、分散状況が大きく異なる。ベイナイト組織の形態として、上部ベイナイト(或いはグラニュラーベイナイト)及び下部ベイナイトの区別が知られている。
オーステンパー或いは等温変態におけるベイナイト変態は、オーステナイト(γ)化に続く焼入れ中のMs点(マルテンサイト変態開始温度)以上の温度(約250-550℃、合金元素にあまり依存しない)で起こる。この時パーライト変態が起きないレベルの冷却速度を選ばなければならない。Ms点以上の温度に保持することで、オーステナイトはほぼ全てベイナイトに変態する。
オーステナイト結晶粒界又は不完全性によるウムクラップ過程(熱ゆらぎ)から、炭素が過飽和した体心立方格子(Bcc格子)を持つフェライト粒が生成する。フェライト粒内の球状或いは楕円状セメンタイトが生成する際のBcc格子の速い拡散のために、下部ベイナイトでは速い速度で炭素が吐き出される。一方、上部ベイナイトにおいてはオーステナイトと同程度の速度で炭素の拡散と炭化物の生成が進む。
上部ベイナイトはベイナイト変態温度域の高い側で生成し、マルテンサイト組織を思わせるよく類似した針状組織を持つ。結晶粒界における炭素の拡散が有利であるために、針状のフェライトが拡散変態して生成される。このとき不規則かつ不連続なセメンタイトが生成される。この不規則な分布のために、このミクロ組織はたいてい粒状組織として観察される。このミクロ組織はしばしばパーライト組織或いはウイドマンステッテン組織と混同されることがあるが、不適切である。
下部ベイナイトは等温保持或いは連続冷却でベイナイト変態温度域の低い温度側で生成する。このミクロ組織においては、下部ベイナイトのフェライトとセメンタイトの生成が進んでいくとともに、残ったオーステナイトに炭素が濃縮され(てMs点が上昇し、オーステナイトがマルテンサイト変態す)るために、針状のベイナイト‐マルテンサイト混合組織となる。オーステンパーを用いた場合、残留応力が減少するとともに靱性が改善され、亀裂感受性が改善されるともに、複雑な形状のミクロ組織が得られる。

(1) 焼入れマルテンサイト
(2) 等温保持によるベイナイト
(3) 連続冷却によるベイナイト
(4) パーライト変態範囲
(5) ベイナイト変態域
ベイナイトのミクロ組織形態
ベイナイトは等温保持及び連続冷却において、パーライト変態温度以下からマルテンサイト変態温度までの温度で変態して生成するミクロ組織である。ベイナイトは大きく上部ベイナイト及び下部ベイナイトが知られる[1]。上部ベイナイトはパケット内で揃った針状のフェライトからなり、ラス間にフィルム状に連続的に並んだ炭化物は個々の針状フェライト(ベイニティックフェライトプレート)の方向と平行に並んで観察される[2][3]。下部ベイナイトは板状のフェライトからなるが、その炭化物はフェライトと60°の角度で並んでいる。その他のベイナイト形態、例えば逆ベイナイトやグラニュラー(粒状)ベイナイト、針状ベイナイトといった変態は、特定の条件で発生する(図1に強調して示す)[4][5]。
ベイナイトの変態機構の説明
現在のベイナイトの変態機構の説明は文献により大きく三種類に分かれており、混乱を生む原因となっている。分類は
- ミクロ組織による説明
- 動力学的な説明(過去)
- 表面起伏による説明
と分けることができる。前者は拡散説(diffusionからD説とも)、後二説は剪断説(shearからS説、若しくはマルテンサイト説やdisplace説、無拡散説、diffusionless説)と呼ばれる。このような説明が並立することから、特定の相変態現象としてのベイナイト変態に、一般的な合意がないことが容易に理解されよう。
ミクロ組織による説明
この説明では鉄基材料のベイナイトのフェライト及び炭化物をラメラーでない共析生成物とする[6]。ここでベイナイト中の二つの相は[7]、初析フェライトと、フェライトから吐き出された炭素が変態の界面で炭化物になったものとみなされる[8]。この説では第二相の分散状況について熱力学的或いは動力学的な説明をやや欠いており、例えば珪素鋼での変態停留をうまく説明できない。こういった但し書きはつくものの、この説明は低炭素鋼や非鉄金属におけるベイナイト変態をよく説明できる。
動力学的な説明
この説明はTTT図(等温変態曲線、英: time temperature transformation diagram)及びCCT図(連続冷却変態曲線、英: continuous cooling transformation diagram)上に、パーライト変態のC曲線とは別の、ベイナイト変態の開始点と終了点のC曲線があるとする。以前の剪断説の主流であった。この考えはベイナイト変態は合金元素の影響による変態停留域の存在により、パーライト変態と分けられるべきとする。しかし動力学的な説明は、いくつかの鋼において変態停留が起きないことを説明できない[9]。遅くとも1990年代には廃れた説である。
表面起伏による説明
この説明はベイナイト変態とマルテンサイト変態の関連性が表面起伏に反映されていると見る[10]。この考えでは板状のベイナイトとして観察される相(ベイニティックフェライトプレート)が、オーステナイトの剪断によりできたもの、つまりMs点以上でできたマルテンサイトと同様であるとし、ベイナイト変態は相界面の移動を通じた非熱的な原子の移動であるとする[11]。ここで変態率は剪断の前後のオーステナイト中の侵入型原子の拡散によって決まる。この説明は中高炭素鋼の変態をよく説明でき、ベイナイト変態の比較多数説であるものの、低炭素鋼や非鉄金属の変態をうまく説明できない。また、ウイドマンステッテン組織のように、拡散変態でも表面起伏が起こることは留意する必要がある。
核生成
ベイニティックフェライトラス(の束・シーフ)は厚い側の端となっているオーステナイト粒界を起点として長く伸びた板状をしている。その内部は図2に示すように、炭化物や残留オーステナイトで区切られたフェライトのサブユニットを含んでいる。互いのサブユニットがぶつかった場所は小傾角境界と、細い板或いは板状の形で観察され[12]、ナバロ(Nabarro)の観察結果によるとこれらの領域では引張応力が働いている(図3に電子顕微鏡像を示す)[13]。プレーンな亜共析鋼及び含珪素過共析鋼の下部及び上部ベイナイトの生成が、炭素が過飽和したフェライトから起きることが認められている。珪素を含まないプレーンな過共析鋼のみは、高い変態温度においてセメンタイトも変態の起点となる。その一つが逆ベイナイトである。
ベイニティックフェライトの核生成は熱格子振動と格子欠陥のために大抵オーステナイト粒界にて起きる。核が臨界半径以上に成長すると、核はサブユニットに成長する。新たな(二次的な)核生成は最初のベイニティックフェライトとの界面で起きる。オーステナイト中の核生成は、そこで核生成に必要なエネルギーが炭素の濃化があるにも拘わらず、高いエネルギーのα-γ界面から低いエネルギーのα-α界面に置き換えられる[14]。ベイニティックフェライトの成長速度は平衡温度の低下に伴い増加する。これは、サブユニットの成長が止まり、すぐに相界面に新たな核を生成するために、サブユニットが小さくかつ数がより多くなるためである。サブユニットの大きさは元のオーステナイト粒径及びベイニティックフェライトプレートの成長と関係がある。これはオーステナイト粒界と既存のベイニティックフェライトにより制約されるためである。他方、オルソン(Olson)及びバーデシア(Bhadeshia)、コーヘン(Cohen)らの最近の研究では、核の存在を基に、ベイナイトの核生成はマルテンサイトのそれと似ていると報告している[15]。核成長を可能とする臨界半径が存在することは受け入れられており、核生成の問題は核成長に帰着することになる。二次的な核生成は、ベイニティックフェライトプレートの成長において、ベイニティックフェライトプレート先端近傍のオーステナイト中にひずみを引き起こすことを説明する。
核成長
ベイナイト変態が起きる温度範囲においては、マトリックス原子は拡散しないのに対して炭素や窒素のような溶質元素は極めてよく拡散する。
まずは剪断説にて説明する。オーステナイトとフェライトの相界面は整合しており、界面転位からなっているともみなせる。変態はこの界面の熱活性なすべりにより、マトリックス原子の位置の変化を伴わずに進む[16]。この剪断誘起の、マルテンサイト変態は侵入型元素の拡散に支配され、界面の移動と比べ遅くなる。
バーデシア(Bhadeshia)は、格子の剪断と炭素の拡散という二つの機構が、変態界面の熱活性化運動に関連しているとみなしている[17]。変態前の潜伏期間中に、生成相の自由エンタルピーを減らして界面運動の駆動力を増加させる、次なる活性化現象の拡散機構が起こりうる。障害を超えてから、拡散機構による障害に遭遇するまで変態界面は自由に、瞬間的にはマルテンサイト変態と同程度(音速程度)の速度で進むと考える。言い換えると、剪断説ではサブユニットが一定の大きさまで成長する間に過飽和炭素の拡散が起こり、やがて次のサブユニットの核生成過程が飛び飛びに繰り返されると考える。ベイナイト変態が飛び飛びに進むとする考察は前述のミクロ組織の観察に基づく。しかしながら、根本によるin-situ観察では、マルテンサイト変態よりも非常に遅い速度でベイナイト変態が連続的に進む様子が観察されている[18]。
一方、拡散説のモデルはこの考え(剪断説)と対照的であり、ベイニティックフェライトの成長が拡散支配のレッジ(ステップ)運動がα‐γ界面にて起こり、ウイドマンサイト構造を持つ初析フェライトの生成と関連付けて議論される[19]。サンドビック(Sandvik)はしかしながら、変態がベイニティックフェライトプレート成長に伴うオーステナイト側の変形双晶を越えて起き、フェライト中の格子欠陥として認められると報告している[20]。レッジの拡散運動に支配された変態は、格子の整合性が乱れるために、双晶境界にて止まらなければならない。また、フェライト中の格子欠陥の存在は通常の拡散変態とは異なる。ダーメン(Dahamen)は表面起伏は拡散変態であっても起こる事実から、表面起伏の存在は変態を剪断支配とする明白な根拠とならないと述べている[21]。
熱力学
変態の駆動力は生成過程と生成相の自由エンタルピーの差によって決まる。つまり必ずしも平衡相にはならず、自由エンタルピーは生成過程と大きな差がある。マルテンサイト及びベイナイト変態のいずれも準安定状態につながる。これらの状態は最小及び遷移しうる状態と関係した平衡状態についてのエネルギーを持ち、平衡するためにエネルギーを放出する[22]。このような準安定状態は、例えば炭素リッチなフェライトが安定なε炭化物となるようなベイナイト変態時などに生じうる。また、相間の自由エンタルピーの差による濃度勾配は非常に生じにくく、準安定状態につながる。
図4にα及びγ相の自由エンタルピーに及ぼす炭素濃度の依存性を示す。Xγの炭素濃度を持つγ相が平衡反応により、Xγαの炭素濃度を持つα相とXαγの炭素濃度を持つγ相に分かれる。この二つの平衡濃度は次式の接線となる。
ΔGαのΔGdとΔGsの分配は拡散が剪断と同じ速度の場合の結果である。この拡散と剪断の結びつきは、図14に示すように移動界面の前方に炭素が濃化するためである。オーステナイト相の炭素の濃化Xiは変態界面に影響を与える。オーステナイト相からの炭素の拡散は、オーステナイトの炭素濃度Xγを増加させる(図14の破線)。XγがXmの値に達するのは、系のエンタルピーの損失がΔG以上にならないために、更なる反応があっても不可能である。ベイナイト変態の停止は例えば炭化物を生成させてXを下げることにより、再開は温度を低くすることでできることになる。
残留オーステナイト
ベイナイト変態が完全に終わるためにはオーステナイトから炭化物ができることが必要である。炭化物は多量の炭素を吸収するため、炭化物周囲のオーステナイトの炭素濃度は大きく落ち込む。オーステナイト中の炭素が濃化すると、―前述のように―変態を止めることが可能となる。例えば合金元素として珪素(Si)を添加すると、炭化物を形成して変態が停止して、多量のオーステナイトが変態しなくなり、室温まで焼入れると、部分的に残留オーステナイトを得ることができる。この残留オーステナイト量は変態を終わらせたオーステナイトのマルテンサイト変態の開始温度(Ms点)に依存する。
下部ベイナイト
下部ベイナイトは上部ベイナイトよりも低温かつマルテンサイト変態開始温度以上の温度で変態させたときに得られるミクロ組織である。理論的には、下部ベイナイトはマルテンサイト変態終了温度(Mf点)までの温度で生成しうる。図6は珪素を含む80Si10鋼の下部ベイナイト組織である。
変態の動力学
バスデバン(Vasudevan)及びグラハム(Graham)、アクソン(Axon)らは350℃以下の温度でベイナイト変態させた時の変態速度と、下部ベイナイト組織の性質を報告している[26]。その中で下部ベイナイトの成長に要する活性化エネルギーは14,000 cal/mol (0.61 eV)であることから、過飽和フェライトにおける炭素の拡散と関係があり、変態速度が炭素の拡散速度に律速されると論じている。これは炭素量の増加によって、α→γ変態時の体積膨張が低い変態温度で起こるようになるためと述べている。
ラドクリフ(Radcliffe)とローラソン(Rollason)は下部ベイナイトの生成に要する活性化エネルギーは7,500から13,000 cal/mol (0.33-0.56 eV)[27]、バーフォード(Barford)は14,500から16,500 cal/mol (0.63-0.72 eV)と報告している[28]。これらは下部ベイナイトの変態がいくつかの機構に分けられることを示唆する。
変態界面前方の炭素の分配
低い変態温度においては、オーステナイト中の炭素の拡散速度が小さくなるのにも拘わらず、大きい変態速度が得られていることから、炭素の拡散と剪断機構が同時に働いているとは考えがたい。
そこで、剪断説ではまず最初に相界面近傍の炭素を完全に過飽和したオーステナイトがマルテンサイトに変態してから、炭素が拡散してフェライト(マルテンサイト)の炭素濃度がオーステナイトとほぼ同じになると考える。図7にその模式図を示す。ここでは、フェライト中に炭化物を析出するか、残存するオーステナイトに炭素を拡散することで、フェライトの高い炭素濃度が低下することとなる[29]。
炭化物の析出
初期の考察では、下部ベイナイトの生成においては界面エネルギーを最小化するように、オーステナイトとの界面から直截炭化物を析出すると考えられていた[30]。バーデシア(Bhadeshia)は変態中にフェライトから炭化物が析出することを確認している[31]。
焼戻しマルテンサイトと同様に、ベイニティックフェライトプレートの内部にプレートの方向と約60°の角度に同じ結晶方位を持つ炭化物が析出する(図8を参照)。その一次相は常にε炭化物(Fe2.4C)であり、長い時間をかけてセメンタイトとなっていく。相界面後方への炭化物析出は、フェライト中の炭素の飽和状態とミクロ組織の自由エンタルピーを低減させる。そして、炭化物の形状はひずみエネルギーが最少となる状態に対応し、その数及び分散状況は下部ベイナイトの良好な機械的性質を担う。
ベイニティックフェライトプレートに対して60°の角度で析出したε炭化物は、変形双晶の生成を促すと推察されてきた。しかし、ベイニティックフェライトプレート中に析出した炭化物の方向と双晶の結晶方位の間に関係は認められず、そのため、炭化物の析出が配向のエネルギー的な原因であると推察される。
しかしながら、変形でできたオーステナイトの双晶を超えてベイニティックフェライトプレートが成長する。剪断説では、これらのオーステナイトの双晶は相界面前方のオーステナイトを剪断させて、Bcc格子に『変態』させ、変態中の格子欠陥に炭化物が析出すると考える。なぜ炭化物が双晶面でなくフェライトの晶癖面に析出するのかは、このように説明される。
拡散説によれば、炭化物の生成機構はスパノス(Spanos)及びファン(Fang)、アーロンソン(Aaronson)らにより、図9に示す模式図にて次のように説明される[32]。細長いフェライトの核(1)が生じた後、次の段階として二次的な核生成がフェライトの核から起こる(2)。フェライトに囲まれたオーステナイトは、(固溶限の違いから)炭化物になるまでフェライトから拡散してきた炭素を濃縮する(3)。最後の段階として、炭化物の周りの空隙は―炭素鋼の場合は―更なるオーステナイトの変態により埋められる。一つのフェライト中でユニット間の既存の方位差を補うように小傾角境界が移動して、それ以前の境界がほぼ見えなくなる(4)。
結晶方位関係
バーデシア(Bhadeshia)は下部ベイナイトにおいては、変態前後のオーステナイトとベイニティックフェライトの間にクルジモフ‐ザックスの関係(Kurdjumov-Sachs relation, K-S関係)が成り立つと報告している[31]。
(2.6)
その他のベイナイト変態における議論の多い点は、下部から上部ベイナイトへの遷移があることである。それは―図10に示すように―炭素量を0.5 mass%に増加させると400℃から約550℃に上昇すると信じられている。炭素量の増加に伴って、炭素を大きく飽和したフェライトが一定の速度で変態するようになり、オーステナイト中の炭素の拡散が遅くなる。従って、炭化物を析出するようにオーステナイト中で炭素が充分に拡散するためには、高い変態温度が必要となる。 一方、合金状態がFe-Fe3C状態図のAcm線の外挿線を超えると、合金は準過共析としてオーステナイトから炭化物を析出するようになり、上部ベイナイトを生成する。従って、炭素濃度を0.7 mass%以上にすると遷移温度は350℃に低下する。この温度以下ではオーステナイト中の炭化物の析出が遅くなり、下部ベイナイトを生成する。
少ない炭素量では遷移温度が大きく上昇して、まだフェライトから炭化物が析出するような高い温度になる。上部ベイナイトの生成過程、特に長い時間をかけた変態がそうであるが、オーステナイトへの炭素の富化と炭素過飽和のフェライトが増加し、更にフェライト中に炭化物が析出するために、(下部ベイナイトが生じなくなり)変態機構の移行が認められなくなる。この挙動はむしろ、準安定なFe-ε系の状態図上の上部から下部ベイナイトへの遷移に帰結する。図11に350℃以下のフェライトからのε炭化物排出の概念図を示す。これによれば、炭素量によらず遷移温度は350℃で一定であることになる。この考えに基づくと、ε炭化物の排出は下部ベイナイトの生成に最も重要な機構であることになる。析出した準安定なε炭化物は長い時間をかけて安定なセメンタイトに変っていく。
その他の遷移温度に対する見解として、次のようなものが提案されている: 遷移温度以下では、異なる動力学と変態温度(Bs点とMs点)を持つ、ベイナイト変態からマルテンサイト変態へ、変態機構の遷移が起きる(図12参照)。遷移温度の上昇は、下部ベイナイトの変態に必要な駆動力と炭素量による過冷という、炭素量低下に伴う二つの異なる曲線のために起こる。実験的に観察される、低炭素量における遷移温度の低下はここでは焼入れ性の問題と同一視される。オーステナイトの分解は非常に短時間のうちに始まるために、冷却すると直ちに上部ベイナイトの変態温度に達する。低い変態温度は、試験片の冷却が充分速かったためである。過飽和フェライトからのε炭化物の生成はオーステナイトから炭素が拡散して排出される過程として表される。フェライト中に存在する炭素からのε炭化物生成は、実験的には専ら高炭素鋼でのみ観察される。
上部ベイナイト
パーライト変態温度以下かつ下部ベイナイト生成域の上方の領域において、上部ベイナイトが生成する。そのオーステナイト中の炭素の拡散はこの相変態に対して決定的に働く。図13に珪素鋼80Su10鋼の上部ベイナイトのミクロ組織を示す。
変態の動力学
350から400℃の温度範囲においては、変態の活性化エネルギーはγ鉄中の炭素拡散のそれ(1.34 eV)にほぼ相当する、34,000 cal/mol(1.48 eV)と測定される。350℃以下においては、フェライト中に一定の平衡濃度に近い0.3%の炭素量が観察され、その際、試験片が保持される変態温度の上昇に伴って線形に減少する様子が観察される。
また、上部ベイナイト生成の活性化エネルギーは18,000から32,000 cal/mol(0.78から1.39 eV)、或いは22,000から30,000 cal/mol(0.95から1.30 eV)が測定されている。
変態界面前方の炭素の分配
上部ベイナイトのベイニティックフェライトに含まれる炭素は、炭素過飽和であるにも拘わらずオーステナイト内に存在している[35]。この過飽和オーステナイトは、高い変態温度においてはオーステナイト中の拡散により体積が減少して、(残ったオーステナイトに)炭素が強く濃縮する[36]。剪断説と拡散説ともに上部ベイナイトにおいて炭素が変態界面前方のオーステナイト相に濃縮する点は一致するものの、剪断説で350℃以下で過飽和のベイニティックフェライトプレートが生成(して飽和炭素が炭化物として析出)すると考えることと、350℃以上で炭素が飽和していないベイニティックフェライトプレートが生成すると考えることの間には相当の無理がある。
低い変態温度の場合は、オーステナイト中の炭素の拡散が遅くなるために、この界面近傍で速い拡散が起ってある炭素量Xmに達する(図14)。このベイナイト変態は停止するまで素早く進むとともに、新たな二次的な核生成を可能とする。これらにより、変態温度の低下によってベイナイトラスの幅が小さくなり数が増加することが説明される。炭化物の生成によりオーステナイトに強く濃化した炭素が低減され、炭化物の生成が起こりうるなら、例えば珪素を多く含む鋼のように、ミクロ組織中に多量の残留オーステナイトが存在できるようになる。
炭化物の生成
成長するベイニティックフェライトラスに囲まれたオーステナイトには、炭素が強く濃化しているため、オーステナイトから炭化物を析出することが可能となる。セメンタイトは常に炭素が濃化したオーステナイトから生じ、上部ベイナイトの炭化物は常にベイニティックフェライトのラスの境界に沿ってフィルム状に連続的に並ぶ形で生じる(図15)。合金中の炭素量が増加すると、ベイニティックフェライトの幅が細くなり、炭化物のフィルムは不連続かつ頻繁に生じるようになる。ベイニティックフェライトプレートの生成後に、周囲のオーステナイトに生じる張力を緩和する形で炭化物が生成することが確認される。炭化物とオーステナイト、フェライトの間の結晶方位の関係は、(剪断説で主張される)格子剪断で上部ベイナイトに生じる炭化物と同様であることがわかっている。剪断説に反論するアーロンソン(Aaronson)は、ベイニティックフェライトの生成もこの炭化物と同じく拡散支配の変態であると説明している[37]。
結晶方位関係
上部ベイナイトのオーステナイトとフェライトの間に、下部ベイナイトでも有効な、西山‐ワッセルマン(Nishiyama-Wasserman relation, N-W関係)が認められる。正確な回折像の結果の枠内では、K-S関係も同様に有効かもしれない。ピッチ(Pitsch)はセメンタイトとオーステナイトの間の結晶方位に、
珪素鋼においては、前述の珪素を含まない鋼のベイナイト変態の機構と比べて、珪素によってセメンタイトの生成を抑制される特徴がある。炭化物の形成が完全なベイナイト変態の前提であるため、セメンタイトの生成が抑制される珪素鋼は不完全な変態となり、高い残留オーステナイト量を持つこととなる。変態生成物は生成後の炭化物生成によって変化しないため、珪素鋼の研究はベイニティックフェライトの生成機構を解明するための重要な方法を供することができる。
珪素はセメンタイトに実質的に不溶である。セメンタイト核の成長は排出される珪素の拡散に支配され、ベイナイトの生成は変態温度でゆっくりと進むことになる。このセメンタイト核の生成による珪素の濃度勾配によって、局部的に炭素の活量が強く上昇する(図16参照)[45]。そのために、セメンタイト核における炭素の移動が減少し、核は成長し続けることができなくなる。
珪素鋼の上部ベイナイト域における変態は炭化物の生成が二段階に分かれるために進みづらくなる。第一段階では、ベイニテッィクフェライトの生成が非常に速い速度で進み、周囲のオーステナイトに炭素が強く濃縮される。第二段階では、珪素鋼ではとても長い時間の後に[46]、この炭素が濃化したオーステナイトから炭化物が生成する。オーステナイトの炭素量低減によってフェライトの生成を継続して進めることができ、ベイニティックフェライトプレートの横方向への成長により二次的なフェライトが生成する。下部ベイナイト域においては、珪素がε炭化物の生成に小さな影響しか与えないために、フェライトからのε炭化物の生成は短い時間で進む。しかし、セメンタイト中のε炭化物の変態は珪素の存在により制約される。この下部ベイナイトの炭化物の生成は、上部ベイナイトよりも少ない残留オーステナイト量となる。この炭化物には相当な量の珪素が含まれるために、セメンタイトとしては識別されない。ローリグ(Röhrig)とドラジル(Dorazil)は上部ベイナイト変態の温度域に長時間保持すると炭化珪素ができることを報告している[47][48]。
大きな珪素量と350℃から400℃の変態温度においては、合金の機械的性質に悪影響を与える、炭素が濃縮した残留オーステナイトが多量に生じうる。成長するベイニティックフェライトに囲まれたオーステナイトにおいて、局所的に炭素が濃化したオーステナイトに変形双晶が観察される。
変態停留・不完全変態現象
ベイナイト変態はBs点に近づくにつれて不完全に進行するようになり、Bs点で変態が止まる様子が観察される。いくらかの何も起こらない時間の後に、パーライトの生成が始まる。ここで合金元素を添加すると、パーライト変態温度域の上昇或いはベイナイト変態域の低温側への移動が起こり、この変態温度域で変態に非常に長い時間がかかるようになる。この現象は高温で炭化物の生成が抑制されるためと説明される。この変態が停止するまでの短い時間のうちに、オーステナイトに素早く炭素が濃縮する。
この不完全変態現象或いは変態停留と呼ばれる現象はベイナイト変態機構をめぐる論争の中の大きな論点の一つとなっている。しかし注意しなければならないのは、この現象のベイナイト変態は完全に停止するのではなく、長い時間の後に完全に進むことである。したがって、現象については変態停留、途中で変態を止めることについては不完全変態という用語が適当であろう。
ブラッドレイ(Bradley)とアーロンソン(Aaronson)は変態停留領域について『ソリュートドラッグ効果』(溶質ドラッグ効果、英: solute drag like effect、SDLE)で説明している[49]。このモデルは、ベイナイト変態域において侵入型原子(炭素)の拡散中に、置換型原子が自由に移動できずに相界面に濃化すると考える。この原子のそばでは炭素活量が減り、オーステナイト中のフェライトの炭素拡散の駆動力が低下する。この効果は変態速度を低下させ、極端な場合は濃化した相界面の移動は、この界面に炭化物を形成することによって、停止状態になる。
バーデシア(Bhadeshia)とエドモンズ(Edmonds)は直接の意見表示として、合金元素を添加した場合を例として、炭素活量の低下が変態の停留原因とならないと反論している[50]。加えて、SDLEはベイナイトとパーライトの間の変態停留の領域は説明できるものの、下部ベイナイトと上部ベイナイトの間に認められる二次的な変態停留を説明できないと論じている。
ベイナイト組織を持つ鉄基合金の機械的性質
強化機構
ベイナイト組織では結晶粒界強化と転位強化、分散強化といった強化機構が働く。
結晶粒界強化においては、ベイナイト組織の微細構造における結晶粒径を如何に定義するかが問題となる。一つの方法は結晶粒径を旧オーステナイト粒径とすることであり、間接的にベイニティックフェライトプレートの長さ及び、ベイナイトラスの集合体であるパケットの大きさと関係がある。エドモンズ(Edmonds)とコクラン(Cochrane)は強度特性と旧オーステナイト粒径の間に関係がなく、パケットの大きさとの間に、
弾塑性繰り返し荷重変位によって、図17に示す応力‐全ひずみ関係のヒステリシス曲線[56]から、材料特性のパラメーターが得られる。応力制御の疲労試験では、繰り返し数Nの疲労荷重を与えたときの全ひずみ振幅εa,t及び塑性ひずみ振幅εa,pを求める。繰り返し荷重による硬化(軟化)はεa,p及びεa,tの減少(増加)として得られる。一方、ひずみ制御の疲労試験ではそれに対して応力振幅σa及び塑性ひずみ振幅εa,pの大きさを求める。繰り返し荷重による硬化(軟化)はεa,pの減少(増加)として得られる[57]。横軸を破断したときの繰り返し数(限界繰り返し数)の対数に、縦軸に従属変数として応力振幅をプロットした結果は、一般にS-N曲線と呼ばれる。従属変数対のσaとεa,p、またはεa,tの関係性から、繰り返し応力‐ひずみ線図が得られる。これによって引張試験の応力‐ひずみ曲線のように、繰り返し引張のひずみと降伏応力を除けるかもしれない。
繰り返し荷重‐変位曲線は帰納的に繰り返し荷重時の材料特性を与える。焼ならし鋼は大抵、準弾性のある繰り返し回数の潜伏期間の後に、疲労限が繰り返し荷重による加工硬化と結びついて不安定化する様子が認められる。この不安定化は均一ひずみ域において発生し、その引張方向に沿って疲労リューダース帯が観察される[58]。
調質鋼においても、潜伏期間を持った不安定化が認められ、亀裂の発生が促される。応力振幅の増大とともに潜伏期間は短くなり、寿命も短くなる。既存の非常に高い転位密度のために新たな転位の生成はありえそうになく、塑性変形するためには既存の転位構造を再配置しなければならない。硬化した材料の状態は、非平衡濃度の炭素原子と弾性変形の相互作用によって転位が集積する機会を与えるために、繰り返し荷重による加工硬化をもたらす。調質は固溶した炭素の濃度を低下させ、転位と炭素原子の相互作用の可能性を下げるともに、転位構造を変化させて軟化させる。
定常的な亀裂伝播段階においては、亀裂先端の繰り返し塑性変形が重要である。亀裂伝播は応力拡大係数ΔKに支配される。荷重変化に対する亀裂長さの増加は、定数c及びnを用いて、
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