ベア川渡河
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 01:44 UTC 版)
1862年12月4日、コナーはマクギャリーをキャッシュ・バレーへの新たな遠征に送り出したが、この時は以前に盗まれていた家畜をショーショーニー族の野営地から取り戻すことが目的だった。隠密に事を進めたにも拘わらず、ショーショーニー族は野営を払い、アメリカ軍が到着する前に逃亡することが出来、川の渡し場に繋がれていた船の綱を切っていた。マクギャリーはその部隊を川向こうに渉らせることができたが、馬は渡河できなかった。油断していたショーショーニー族4人が捕まり人質として拘束され、マクギャリーはもし家畜が翌日の正午までに返されなければ、これら4人は射殺しろと命じた。ショーショーニー族はこれを無視してキャッシュ・バレーのさらに北に移動したので、捕虜達は射撃班によって処刑され、その遺体はベア川に投げ込まれた。「デザート・ニューズ」紙は、この処刑がショーショーニー族をさらに敵対的にさせ、報復を誓わせるだろうとの論説を載せた。
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