ヘルパーと風呂より祖母を引き抜くなり
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評 言 |
句集名は『六十億本の回転する曲つた棒』。刊行時には、我等人類は七十億を越えてしまったという、その歴史の間に存在した一冊とは、何と素敵な事だろうと思う。 真面目にお行儀のよい方々から、引き抜くとは何事だ、牛蒡や大根じゃないぞ、とお叱りを頂きそうなこの句ですが、私も自宅で母を看取りましたので、よく分るのです。 あの頃は、ヘルパーさんがいませんでした。優しく抱きかかえたい私の腕にこたえる力が母にはもう残っていませんでした。 抱きついてくれない母を、兄と夫ふたりがかりで風呂から上げました。汗だくの二人に恥ずかしそうに、申し訳なさそうに、抱きあげられる母でした。 ズボン上げてやつて乳房が見えてしまふ あなたを五歳から育ててくれたという、おばあちゃんの手と足が見えてきそうな、介護日記のようでした。 人類に空爆のある雑煮かな 家が燃え、人が燃えるのを見た事がありません。空爆は怯える人の目を見ずに、大量の殺戮をやってのけます。 手に血もつかず、より能率的に人を殺す道具を血まなこになって作ろうとしている人類が怖ろしい。 私は戦争を知らない子供と言われた世代ですが、疵痕はまだ生々しく立っていました。 あなたのおばあちゃんのお雑煮のお餅は四角、それとも丸でしたか。 空から熱いものが降ってこない屋根の下を遺してあげるには、どうしたらいいのでしょう。 いつもどこかで戦争があります。 |
評 者 |
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備 考 |
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