プロテスタントという呼称とその否定的評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/01 01:49 UTC 版)
「福音主義教会」の記事における「プロテスタントという呼称とその否定的評価」の解説
類義語として、「プロテスタント教会」なる語と概念が存在している。プロテスタント教会という語は、1529年にシュパイアーで開催された帝国議会でヴォルムス勅令(ドイツ語版)が復活したことに反対した諸侯たちの行為に関連して生まれたと言われている。しかし、当時のドイツにおいて「プロテスタント」という語はローマ・カトリック教会への「抗議する者」「不満分子」という意味を持ち、ルターとその支持者たちとって不名誉なあだ名でもあった。 1817年の教会合同によってプロイセン福音主義教会を設立したプロイセン王国では、1821年にプロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世 (1770年‐1840年)が教会名称に関する勅令を出している。そこには「プロテスタントと言う代わりに、福音主義という名称を、プロテスタントの信者というのではなく、福音主義の信者という呼び方が選ばれねばならない。それによってこの不適切な名称は次第に消し去られるだろう」と書かれていた。以来、プロイセン王国ではプロテスタントという語は忌避され、福音主義教会という教会名称が完全に定着した。ただし、シュパイアーがあるプファルツ地方周辺やライン川対岸のフランス領アルザスでは、プロテスタントという語が肯定的な意味で使われていた。
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