プラハのゴーレム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 14:10 UTC 版)
最も有名なゴーレムの物語には、プラハの16世紀後半のラビ、イェフダ・レーヴ・ベン・ベザレルのものがある。反ユダヤ主義の攻撃やポグロムからプラハのゲットーを守るため、ヴルタヴァ川の粘土でゴーレムを作った。 伝説によっては、プラハのユダヤ人は神聖ローマ皇帝ルドルフ2世の支配下で追放または殺害されている。 ゴーレムはヨーゼフと呼ばれ、ヨッセルとして知られる。自身の姿を隠し、死者の霊を召喚することができると言われていた。 ラビ・レーヴは金曜日の夜、安息日(土曜日)が始まる前にセム(shem)を外してゴーレムを停止させていた。 ある金曜日の夜、ラビ・レーヴはセムを取り除くのを忘れ、ゴーレムが安息日を妨害することを恐れた。 別の話ではゴーレムが恋に落ち、拒絶により暴力的なモンスターになるものがあり、はなしによっては最終的に殺人的な暴動を起こしている。 ラビがゴーレムの口からセムを引っ張り停止させると、ゴーレムは砕けた。 ゴーレムの体は必要な時に再作動できるよう、旧新シナゴーグ(英語版)の屋根裏部屋に保管された その後、ラビ・レーヴは後継者以外の人間が屋根裏部屋に入ることを禁じた。ラビ・レーヴの後継者であるRabbiYechezkel Landauは、伝説を確かめるために屋根裏部屋へ上ることを望んでいたと伝えられる。 伝説によると、ラビ・ロウが造ったゴーレムはまだシナゴーグの屋根裏部屋にある。 1883年に屋根裏部屋が改装されたとき、ゴーレムの証拠は見つからなかった。 屋根裏部屋は一般公開されていない。
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