ブーリ、十字軍と戦う
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/12 15:41 UTC 版)
ブーリは即位後ニザール派を大規模に粛清し、市内のニザール派信徒とエルサレム王国とが共同で進めていた「ダマスカス占拠作戦」を直前で阻止した。同年、ダマスカスを攻略しようとするエルサレム王ボードゥアン2世をはじめとする十字軍諸国連合とテンプル騎士団の連合軍と戦ってこれを撃退し、ニザール派と西洋人という最大の危機を乗り切った。しかし1130年には、ダマスカスに野望を持つアレッポの新しいアタベク政権の主、ザンギーに騙され、共同で十字軍攻撃に向かおうとしてザンギーの元へ出発させた将兵や次男サウィンジを人質にされるという屈辱を受ける。彼は巨額の身代金で一同を釈放させたが、以後ダマスカス市民はザンギーを忌み嫌うようになった。ブーリはその後ニザール派の教団員に襲われた傷が元で、 1132年に早世する。
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