ブンラクとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > ブンラクの意味・解説 

ぶんらく【文楽】


ブンラク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/17 06:18 UTC 版)

株式会社ブンラク
Bunraku Inc.
種類 株式会社
本社所在地 日本
530-0041
大阪府大阪市北区天神橋1-6-6-303
設立 1943年8月31日
業種 繊維製品
法人番号 1120001013525
事業内容 足袋製造メーカー
代表者 代表取締役社長 友枝義典
資本金 2160万円
発行済株式総数 2万1600株
売上高 4億6500万円
従業員数 47人
外部リンク http://www.bunraku.co.jp/
テンプレートを表示

株式会社ブンラクは、大阪市に本社を置く足袋メーカーである。作務衣や靴下などの繊維製品も製造販売している。徳島県鳴門市に工場を持つほか、中国でも生産を行っており、足袋の生産では全国シェアの20%を占める[1]

主要製品

  • ブンラク - 和装用足袋[2]
  • タビワーカー - 業務用足袋
  • フシギノ - ソックス・手袋
  • 綿雪 - 特殊な縫製技術の特許を取得している足袋[3]

このほか工場のある徳島の有名行事である阿波踊りへの取り組みも積極的で、PR用の法被やTシャツなども製作している[4]

沿革

個人事業期

ブンラクの起源は、昭和初期に大阪で足袋製造を行っていた複数の個人事業者に遡る[5]。足袋の製造は農家の副業や家内工業程度の規模から徐々に発達してきたことから、この時代においても個人の名義で事業を行う小工場が多数存在していた。友枝守彦(後のブンラク社長)の父もこうした一人で、鳴門で足袋製造の修業ののち、大阪で事業を営んでいた[6]

戦時統合

しかし1938年(昭和13年)には国家総動員法が施行され、足袋業界でも統制が強化されていった。当時、日本全国で611社が年間2億5000万足の足袋を生産していたが、1941年(昭和16年)にはこれを68社、年間1億足に圧縮することになった[7][8]。大阪府下では1939年(昭和14年)に成立した[9]大阪足袋工業組合の主導で業者の整理統合が進められた。こうした取り組みの中で、東成区では個人で足袋製造を行っていた6名の事業が統合され、東大阪足袋工業小組合が成立[10]、後に組織変更され東大阪足袋工業有限会社となった。東大阪足袋工業は戦火を避け、工場を徳島県に移転して生産にあたった[11][2][12][14]

株式会社化

戦後、足袋は依然として統制下にあったが、1950年(昭和25年)に統制が解除、このころ東大阪足袋工業は文楽足袋株式会社に改組された。これと前後し、東大阪足袋工業で代表を務めた[13][15][16]松井熊栄が独立して株式会社松井商店を設立[17]、文楽足袋への移行期に代表を務めた[18][19]玉谷豊も独立して玉谷足袋工場(後の玉谷足袋)を設立[20][21]するなど、再分離が進んだ。当時、足袋製造は利益が見込める事業であり、新規参入も相次いだが[22]、1954年(昭和29年)にナイロン靴下が登場すると、足袋の利用は減少した。文楽足袋は1956年(昭和31年)には100万足以上を生産していたが、その後の数年で生産量は激減した[23][12]

社名改称

鳴門工場

1966年(昭和41年)には社名をブンラクに改称、需要減少の中でも足袋製造を維持するため、ズボンや水着など、他の繊維製品の縫製にも手を広げながら、足袋においても新製品開発を続けていった。昭和40年代にはウレタン素材をサンドイッチにして用いた足袋を開発、温かさとクッション性が評価され、一時には全国シェア40%を確保した。足袋以外では昭和50年代に阿波しじら織りを用いた室内着甚平を発売、その触感が好評を得た。昭和60年代に発売した阿波正藍染の作務衣は寺社関係者を中心に支持を受けた。

海外生産へ

2014年まで使われていた本社の建物(本社移転後に建て替えられ、現存しない)

1989年(平成元年)には中国上海における生産を開始、中級品の生産を海外に移転するとともに、国内ではオーダー品・セミオーダー品など小ロットの需要に応じる体制を強化していった。2001年(平成13年)にはWEBショップを開業し、個人向けの直販に販路を拡大した。製品面では小鉤と受け糸のみが従来通りで他は洋生地を用いた柄足袋や、レースを用いたレース足袋を開発[24]、柄足袋では工場がフル回転となる反響を得た[25][26]。こうした個個人の嗜好に合わせた製品展開に加え、個人の足の形にも合わせた足袋製造を可能にするため、足の形状の測定が瞬時に可能な測定機器を三洋電機と共同開発した[27]。2010年(平成22年)には上海での生産移転をさらに進め、国内では高級品に集中する傾向を強めている[1]

年表

  • 1941年(昭和16年) 東大阪足袋工業小組合設立[28]
  • 1943年(昭和18年) 東大阪足袋工業有限会社設立
  • 1944年(昭和19年) 徳島県鳴門市に工場疎開(後の鳴門工場)[12][2][29]
  • 1952年(昭和27年) 文楽足袋株式会社に改組
  • 1966年(昭和41年) 株式会社ブンラクに社名変更
  • 1970年(昭和45年) 鳴門工場全面改装
  • 1989年(平成元年) 一部の商品を中国上海で生産開始
  • 1995年(平成7年) ブンラク本社ビル 建て替え
  • 2001年(平成13年) WEBショップ開業
  • 2003年(平成15年) 足のサイズ3D測定器導入
  • 2006年(平成18年) シンボルマーク変更

参考文献

  • 大野源治『大阪足袋業界の歩み』後編、大阪足袋協会、1989年。
  • 廣瀬寛治『鳴門足袋工業二百年史』美津菱足袋、1990年。

脚注

  1. ^ a b 「ブンラク 足袋生産 中国に集約 鳴門工場、高級品に特化」『徳島新聞』2010年(平成22年)11月20日付朝刊7面。
  2. ^ a b c d 「徳島の企業 株式会社ブンラク 現代のニーズを反映した足袋作り」『企業情報とくしま』第334号、とくしま産業振興機構企画総務部(徳島県中小企業支援センター)、2011年5月、2-3ページ。
  3. ^ 足袋「綿雪」(特集・連載 - 徳島新聞
  4. ^ 「法被で阿波踊りPR 鳴門の会社発売 Tシャツも4種」『徳島新聞』2005年(平成17年)4月14日付朝刊9面。
  5. ^ 『大阪足袋業界の歩み』104ページ。各事業者の創業年は不明であるが、全員が1939年(昭和14年)に成立した大阪足袋工業組合設立時からの組合員であることから(同書90ページ)、遅くともこの年には事業を行っていたことになる。
  6. ^ 『企業情報とくしま』記事[2]による。同書はこの経緯を紹介した上で創業は1931年(昭和6年)と別掲しているが、この年が個人事業者としての創業であるのかどうかについては言及していない。
  7. ^ 『鳴門足袋工業二百年史』99ページ。
  8. ^ a b c 鳴門市史編纂委員会編集『鳴門市史』現代編1、鳴門市、1999年、1048ページ。
  9. ^ 『大阪足袋業界の歩み』89ページ。
  10. ^ 『大阪足袋業界の歩み』104頁。
  11. ^ 『大阪足袋業界の歩み』123ページ。
  12. ^ a b c d 徳島市経済部商工労務課(企画)、アワード(編集)『起業を目指す人に贈る とくしま100人のサムシング』徳島市、2003年、091ページ。
  13. ^ a b c 鳴門市史編纂委員会編集『鳴門市史』下巻、鳴門市、1988年、330ページ。
  14. ^ 『鳴門市史』現代編1[8]は、東大阪足袋工業は疎開後、やはり大阪から疎開した別の1社とともに徳島県足袋工業小組合に加わったと記している。『鳴門市史』下巻[13]も大阪からの2社疎開に触れているが、再統合の記述はない。
  15. ^ 『大阪足袋業界の歩み』156-157ページ。
  16. ^ 『鳴門足袋工業二百年史』212, 214-215ページ。
  17. ^ 『大阪足袋業界の歩み』209ページ。
  18. ^ 『大阪足袋業界の歩み』191-192, 210ページ。
  19. ^ 『鳴門足袋工業二百年史』218ページ。
  20. ^ 『鳴門足袋工業二百年史』221-223ページ。
  21. ^ 会社概要
  22. ^ 『鳴門足袋工業二百年史』202ページ。
  23. ^ 『鳴門足袋工業二百年史』223-224, 230ページ。
  24. ^ 徳本みどり「ゆかたの足もとには 涼しげなレースの足袋を」『産経新聞』平成16年(2004年)7月20日付大阪本社夕刊7面。
  25. ^ 西川博明・武部由香里「着物ブーム 足元にも――柄足袋〝わたし流〟演出 メーカー、フル回転で生産」『産経新聞』平成16年(2004年)9月16日付大阪本社朝刊10面。
  26. ^ 渡辺創「気になるトレンド 足袋 和風ブームで柄物人気」『北海道新聞』2004年(平成16年)12月16日付朝刊27面(札幌圏)。
  27. ^ 「足型 即座に立体測定 足袋製造ブンラク 特徴つかみ商品に 三洋電機とシステム開発」『徳島新聞』2005年(平成17年)4月14日付朝刊9面。
  28. ^ 『大阪足袋業界の歩み』209ページ。同書210ページ掲載の文楽足袋(当時)自身による沿革では1940年(昭和15年)となっている。『とくしま100人のサムシング』は昭和16年創業と[12]、また徳島県観光物産館が1976年に実施した調査に基づいて刊行した冊子『徳島の物産No.6 鳴門足袋』11ページは文楽足袋自身の回答として昭和16年11月という創業年月を掲載しているが、いずれも創業時の社名は示していない。
  29. ^ 『鳴門足袋工業二百年史』100-101ページ、『鳴門市史』下巻[13]、『鳴門市史』現代編1[8]はいずれも鳴門に疎開したのは東大阪足袋工業小組合であるとしている。『鳴門市史』下巻はさらに、工場の疎開は1943年以前と述べている。

外部リンク



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ブンラク」の関連用語

ブンラクのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ブンラクのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのブンラク (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS