ブロードウェイからも参入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 06:24 UTC 版)
「スクリューボール・コメディ」の記事における「ブロードウェイからも参入」の解説
1930年代末からはブロードウェイの劇場でも洒落たラブ・ロマンスが多く作られるようになり、そうした作品の脚本を書いていたプレストン・スタージェスがハリウッドへ進出してキャプラにつづくスクリューボール・コメディの重要な作り手となった。スタージェスの『サリヴァンの旅』(1941)や『レディ・イヴ』(1941)はとくに大きな成功を収めた作品である。 また同時期に作られたハワード・ホークスの『赤ちゃん教育』(1938)や『教授と美女』(1941)、そして後の巨匠ビリー・ワイルダーが脚本を書いたルビッチ『ニノチカ』(1939)などもスクリューボール・コメディの傑作と考えられている。 スクリューボール・コメディは1930年代半ばから1940年代末までに200本超が制作されたと言われる。現在のアメリカ映画で「スクリューボール」をうたう作品が作られることはほとんどないが、テンポのよいラブコメディを形容するさいに映画批評などでこの言葉が使われることがある。
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