ブラッシュ・クリーク沿いの戦闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/13 02:31 UTC 版)
「ウェストポートの戦い」の記事における「ブラッシュ・クリーク沿いの戦闘」の解説
ブラントはブラッシュ・クリーク沿いに3個旅団を配置し、チャールズ・W・ブレア大佐指揮下の4番目の旅団はカンザスシティから向かっているところだった。右手から左手にトマス・ムーンライト大佐、チャールズ・R・ジェニソン大佐およびジェイムズ・ホバート・フォード大佐の旅団が並んだ。夜明けにフォードとジェニソンは散兵とともにブラッシュ・クリークを渉り、川向こうの開けた野原でシェルビー隊に出会った。南軍が攻撃し、側面を衝かれた北軍はクリークの対岸に押し返された。トマス・ムーンライト旅団が激しく攻撃され、カンザス州境を越えて後退し、ジェニソン旅団はウェストポートのほとんど町中にまで後退した。この大変な時に、カーティスはバイラムズフォードにいるプレソントンの大砲の音を聞き、またブレア大佐の新鮮な旅団が丁度到着した。カーティスは意気が高揚し、自ら馬で前線に出てブレア隊を戦闘に導いた。補強された北軍はクリークを越えて突撃したが、再度撃退されてクリークの北岸に後退した。カーティスは正面攻撃以外の他の選択肢を必要と考え、南軍前線の弱点を探っているときに、見失った馬を探している1人の農夫に出会った。その農夫はカーティスにシェルビー隊左側面に沿ってある高台を走る渓谷の存在を教えた。州境を越えていたムーンライト旅団がこの時その機会を生かす絶好の位置にいた。ムーンライト旅団の第11カンザス騎兵連隊がウィスコンシン大隊を護衛し、渓谷を抜けてシェルビーの左翼旅団M・ジェフ・トンプソン准将の側面を衝いた。 ムーンライト旅団が南軍の側面を衝いたのと同じ時刻に、ブラントはジェニソンとフォードの旅団で正面攻撃を再開した。ブラントの攻撃の激しさと、ムーンライト旅団による側面攻撃に驚かされたことで、南軍は後退して平原を横切り高台まで下がった。そこで南軍は抵抗し、数回反撃を試みたが成功しなかった。シェルビーとファガンの部隊に惨劇が生じたときに、同じようなことがプライスの後衛であるバイラムズフォードのマーマデューク師団に起こっていた。
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