ブラック・ウォール街
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/03 00:47 UTC 版)
「タルサ人種虐殺」の記事における「ブラック・ウォール街」の解説
それでもタルサには多くの裕福で高学歴の黒人たちが多く住むことで知られていた。特にタルサの黒人地域であるグリーンウッド地区はニューヨークのウォール街と比べて「ブラック・ウォール街」と称されるほどの経済的繁栄をみせた。1905年にはブッカー・T・ワシントンが訪れ、活発な黒人コミュニティの活動を称え、地域の更なる開発を促した。グリーンウッド地区では多くの黒人起業家たちが、複数のスーパーマーケット、新聞社2社、映画館2館、ナイトクラブ、そして多くの教会を立ち上げた。多くの高学歴の黒人専門家が住み、医者、歯医者、弁護士や聖職者たちが豊かな黒人コミュニティを支えた。グリーンウッドに住む住人たちは自分たちでリーダーを選び、資本を捻出することで、白人社会から独立した経済的な発展を支えていた。しかし、このような独立した黒人社会に対する反感が少なからず白人の間では起きていた。オクラホマは1865年に終戦した南北戦争では、アメリカ連合国とアメリカ合衆国の境に位置し、奴隷制の廃止をかけた戦争の記憶はまだ遠くない過去の問題として残っていた。
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