フラワーラインの終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/02 21:27 UTC 版)
「第38回日本選手権競輪」の記事における「フラワーラインの終焉」の解説
レース後、清嶋以下の東京勢に何の抵抗もせず、馬場以下の中四国勢を牽制するだけの動きにとどまった滝澤に対し、場内から激しい罵声が飛んだ。滝澤がフラワーラインの一員ということについては当時のファンも承知のことであったが、清嶋の逃げに対し、何もしないままゴールしたのは、滝澤絡みで車券を買っていたファンにとってみれば許しがたい行為であった。(なお、車券の人気は清嶋ー尾崎(6-3)、清嶋ー山口(6-4)で売れており、清嶋が勝つと思っていたファンが多数だった) 日本自転車振興会(現 JKA)が発行する月刊競輪の1985年5月号でも、フラワーラインの動きというのは、ファンにとって実に分かりにくいことだとして批判の論調に終始した。その後、フラワーラインは言葉としては残っていくものの、露骨に誰かを勝たせるようなプレーというのは影を潜めることになった。
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