フクバラハップとの内戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 04:30 UTC 版)
「フィリピンの歴史」の記事における「フクバラハップとの内戦」の解説
また、戦後共和国政府は徹底してフクバラハップを敵対視し、1948年3月にはロハス政権によってフクバラハップと全国農民同盟は非合法化され、ルソン島では政府軍と地主の私兵とフクバラハップとの間で戦闘が繰り広げられた。ロハスの死後、政権を継いだエルピディオ・キリノ政権はフクバラハップとの和平交渉を行ったが、交渉は決裂した。フクバラハップは首都攻略を噂されるほどの大勢力となっていたが、これに脅威を抱いた合衆国はフィリピン政府への軍事援助を強化し、ラモン・マグサイサイ国防相による討伐作戦によって1950年10月には共産ゲリラの司令塔だったフィリピン共産党 (PKP)が壊滅し、翌1951年にはフクバラハップそのものも実質的に壊滅に追い込まれた。
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