フォービスムの誕生
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「サロン・ドートンヌ」の記事における「フォービスムの誕生」の解説
サロン・ドートンヌは、とりわけ、1905年にフォーヴィスムが誕生した展覧会として知られている。この第3回展では一室がマティス、マルケのほか、アンドレ・ドラン、モーリス・ド・ヴラマンク、キース・ヴァン・ドンゲン、ルオー、アンリ・マンガン、ジャン・ピュイ(フランス語版)、シャルル・カモワン(フランス語版)らの激しい色彩、力強い線を特徴とする絵画で埋め尽くされた。これを見た美術評論家のルイ・ヴォークセル(フランス語版)が、展示室の中央にある胸像を指して、「野獣(フォーヴ)に囲まれたドナテッロだ(C'est Donatello parmi les fauves)」と評した。ここからフォーヴィスムという表現が生まれ、この展示室は「野獣の檻(la cage aux fauves)」と呼ばれるようになった。このほか、「形を成さない絵具の塗りたくり」、「錯乱状態に陥った絵筆」、「瓶の封蝋とオウムの羽のごた混ぜ」といった批判が飛び交い、最も厳しい批判を受けたのはマティスの《帽子の女》であった。ヴォークセルの評論は、この年のサロン・ドートンヌ全体の評価として1905年10月17日付『ジル・ブラス』紙に掲載された。
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