フェイガンの死後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 04:23 UTC 版)
「ミル・エンズ公園」の記事における「フェイガンの死後」の解説
フェイガンは1969年に癌のため死去したが、公園はひきつづき他の人々によって手入れされた。1976年には公式に市の公園に指定されている。 この公園は、数十年にわたって色々な飾りつけがなされてきた。 2001年のセント・パトリックス・デイには、金の壺に寄りかかる小さなレプラコーンや、子供たちが描いた四葉のクローバーやレプラコーンなどで飾り付けられた。 2006年2月、公園はサウスウェスト・ナイトーパークウェイの大規模な建設プロジェクトのため、一時的に80フィート離れたTwo World Trade Center Plazaに移設された。ポートランド公園局は、2006年7月のプロジェクト終了後には、公園はもとの位置から東へ7フィート半の場所に再設置されると発表した。2007年3月16日のセント・パトリックス・デイに、フェイガンの遺族同席の元、元の場所に移された。 2011年12月には、2011年ポートランドデモ(英語版)の一環として、この公園でフラッシュモブ(ゲリラパフォーマンス)が行われ、公園にはプラスチック製の軍人のフィギュアで飾られた。このデモでは警察からの立ち退き命令を無視したとして逮捕者も出た。 2013年3月、公園の木が盗まれる事件が発生。職員が代わりの木を植えたところ、1日後、盗まれた木と思われるものが新しい木の隣に横たえられていた。 2013年4月、翌月、イギリスのバーントウッド(英語版)町の関係者が、ミル・エンズは公園というには規模が小さく、「周囲にフェンスがある」などの特徴が欠けていることから、バーントウッドのプリンス公園(英語版)こそがイギリス最小の公園だと主張した。これを受けて、ミル・エンズの周囲には高さ数センチの「フェンス」が設けられ、「武装警備員」の人形が飾られた。 2018年、ポートランド市公園局は、公園に看板を設置し、ミニチュアローズを植えた。 2019年12月、公園の木が何者かによって切り倒された。しかし、すぐに代わりのものが植えられた。 2022年1月、公園は道路整備のため元の位置から60センチメートル移動し、新しい看板が設置された。 2007年7月の様子 改修前、2004年8月の様子 2011年11月の様子 Occupy Portlandの期間中の様子(2011年12月)
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