ピサ高等師範学校時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/07 00:22 UTC 版)
「エンリコ・フェルミ」の記事における「ピサ高等師範学校時代」の解説
1918年、トスカーナ州の古都ピサに移り、ピサ高等師範学校およびピサ大学に入校、物理学を学ぶ。非凡な才能を発揮してすぐに教師達を追い越してしまい、教師から相対性理論について教えを請われたこともあった。またここで、同い年でやはり物理学専攻のフランコ・ラゼッティと知り合い、親友となった。 1922年に学位を取得したのちドイツのゲッティンゲン大学に留学し、ローマ・ラ・サピエンツァ大学で講師として1年間物理学を教えた後、オランダのライデン大学へと再度留学し、1925年にはフィレンツェ大学で臨時講師となった。1926年には「フェルミ統計」に関する理論を発表して世界的な名声を得た。フェルミ統計は、電子の振る舞いにパウリの排他原理を導入した新しい統計力学だった。同時期にポール・ディラックも同様の結論を導き出していたため、フェルミ統計は「フェルミ=ディラック統計」とも呼ばれる。電子や陽子など、フェルミ統計に従う素粒子を総称してフェルミ粒子と呼ぶ。フェルミ統計は、金属の熱伝導や、白色矮星の安定性に関する理論的な基礎を与えるものである。
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