パパドプロスの台頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 09:21 UTC 版)
「ギリシャ軍事政権」の記事における「パパドプロスの台頭」の解説
パパドプロスは、1971年8月に18省を13省に改編し政府の分権化を図ったが、パッタコスが内務大臣から第一副首相にマカレゾスは経済大臣から第二副首相に名誉職へ棚上げする格好でクーデターに参加した同僚将校を権力から追った。他の閣僚も全て辞任・交代させられ、自らの競争相手を閣外へと追うことに成功した。 1972年、摂政のゾイタキスはパパドプロスの私的な権力掌握への動きを問い質す挙に出たものの、逆にゾイタキスは摂政を解任されるばかりか軍からも退官させられパパドプロス自らが摂政職を兼任。既にパパドプロスは首相に外相・国防相・教育相をも兼任していたことから、ここに独裁的権力の掌握を成し遂げた。そのため、町のあらゆる公共の場にパパドプロスの肖像が描かれ、彼の著作集は学校教育に於いて必須の扱いとなった。
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