パスカル・リスバとは? わかりやすく解説

パスカル・リスバ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/23 01:45 UTC 版)

パスカル・リスバ
Pascal Lissouba


任期 1992年8月31日1997年10月25日
首相

任期 1963年12月24日1966年4月15日
大統領 アルフォンセ・マサンバ=デバ

出生 1931年11月15日
フランス領赤道アフリカ
コンゴ チンギディ
死去 (2020-08-24) 2020年8月24日(88歳没)
フランス ピレネー=オリアンタル県ペルピニャン
政党 国民革命運動英語版
(1964年 - 1969年)
コンゴ労働党
(1969年 - 1991年)
社会民主主義パン・アフリカン連合
(1991年 - 2020年)
出身校 パリ大学
配偶者 アネット・シャントグレイ
ジョセリン・ロズダム
子女 11人

パスカル・リスバフランス語: Pascal Lissouba, 1931年11月15日 - 2020年8月24日)は、コンゴ共和国政治家大統領1992年8月31日 - 1997年10月15日)を務めた。社会民主主義パン・アフリカン連合党員。

生涯

パリ大学に留学した遺伝学者であり、パリ大学やユネスコに勤務したあと、コンゴ共和国で行われた1992年の民主的選挙で、ドニ・サスヌゲソ大統領を破って当選。コンゴ共和国大統領となる。しかし、1993年の選挙の公正さに疑問が持たれ、サスヌゲソを中心とする野党が一斉に反発。サスヌゲソ・リスバ双方が私兵を集め、軍事衝突英語版に発展した。1995年12月に一時和平が成立したものの、1997年6月、再び大規模な武力衝突英語版が起こり、サスヌゲソ派が首都を制圧。リスバはロンドンへと亡命した。

亡命後はロンドンに居住したが、一貫してコンゴへと帰国する意思を示していた。しかし復権したサスヌゲソ政権による野党・反対者弾圧の一環として、外患罪と汚職の罪に問われて訴追されたため、コンゴに入国すれば逮捕されるという懸念から帰国は実現しなかった。

2020年8月24日、フランスのペルピニャンで死去、88歳没[1]

出典


公職
先代
ドニ・サスヌゲソ
コンゴ共和国大統領
1992 - 1997
次代
ドニ・サスヌゲソ




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