パコ・ビエンソバスとは? わかりやすく解説

パコ・ビエンソバス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/05 06:18 UTC 版)

パコ・ビエンソバス
名前
本名 フランシスコ・ビエンソバス・オカリス
Francisco Bienzobas Ocáriz
ラテン文字 Paco Bienzobas
基本情報
国籍 スペイン
生年月日 (1909-03-26) 1909年3月26日
出身地 サン・セバスティアン
没年月日 (1981-04-30) 1981年4月30日(72歳没)
選手情報
ポジション FW
ユース
1921-1926 UDサン・セバスティアン
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1926-1934 レアル・ソシエダ 65 (39)
1934-1940 オサスナ 64 (33)
1940-1942 レアル・ソシエダ 26 (14)
通算 155 (86)
代表歴
1928-1929 スペイン 2 (2)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

パコ・ビエンソバスPaco Bienzobas)ことフランシスコ・ビエンソバス・オカリスFrancisco Bienzobas Ocáriz,1909年3月26日 - 1981年4月30日)は、スペインサン・セバスティアン出身の元サッカー選手スペイン代表である。ポジションはFW

ラ・リーガが初開催された1928-29シーズンのピチーチ賞受賞者である[1]

経歴

初代得点王として

12歳から17歳まで地元のUDサン・セバスティアンでプレーし、その後レアル・ソシエダと契約した。移籍初年度にギプスコア県選手権を制した。初めてコパ・デル・レイの決勝を戦ったのは1928年で、引き分け再試合の末にFCバルセロナに1-3で敗北した。1928-29シーズンには全国選手権(リーガ・エスパニョーラ)が創設され、レアルも選手権に参加した。クラブは10チーム中4位で最初のシーズンを終え、ビエンソバスは14得点を挙げて初代得点王に輝いた。彼は4シーズンで65試合に出場し、39得点を挙げた。

1934年セグンダ・ディビシオンに属していたCAオサスナに移籍した。ビエンソバスが加入したシーズンにプリメーラ・ディビシオンに昇格したが、1シーズンで降格してしまった。その後、スペイン内戦の影響で何年かプレーできなかった。スペイン内戦後、彼はレアルに復帰した。1942年、リーガ・エスパニョーラで92試合50得点という成績を残して現役引退した。スペイン代表では2試合に出場して2得点を決めている。

現役引退後

現役引退後はレフェリーとして活躍した。1942年にレフェリーとしての道を歩み始め、1948年に初めてプリメーラ・ディビシオンの試合を任された。48試合で笛を吹いた。

所属クラブ

タイトル

  • レアル・ソシエダ
    • ギプスコア県選手権 1927, 1929
    • ギプスコア県/ナバラ州/アラゴン州選手権 1933
  • CAオサスナ
    • ナバラ県選手権 1939

関連項目

脚注

  1. ^ Paco Bienzobas, el primer Pichichi de la Liga” (スペイン語). Marca (2016年9月24日). 2024年5月5日閲覧。

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「パコ・ビエンソバス」の関連用語

パコ・ビエンソバスのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



パコ・ビエンソバスのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのパコ・ビエンソバス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS