カジェタノ・レ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/06 10:10 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動| この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はレ、第二姓(母方の姓)はラミレスです。(Template:スペイン語圏の姓名) |
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| 名前 | ||||||
| 本名 | カジェタノ・レ・ラミレス Cayetano Ré Ramírez |
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| ラテン文字 | Cayetano Ré | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | |
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| 生年月日 | 1938年2月7日 | |||||
| 出身地 | アスンシオン | |||||
| 没年月日 | 2013年11月26日(75歳没) | |||||
| 身長 | 163cm | |||||
| 体重 | 70kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | フォワード | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1958-1959 | |
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| 1959-1962 | |
79 | (25) | |||
| 1962-1966 | |
84 | (56) | |||
| 1966-1971 | |
102 | (23) | |||
| 1971-1972 | |
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| 1972 | |
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| 代表歴 | ||||||
| 1958-1959 | |
25 | (?) | |||
| 監督歴 | ||||||
| 1973-1974 | |
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| 1974-1975 | |
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| 1975-1978 | |
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| 1978-1980 | |
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| 1981-1982 | |
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| 1983-1984 | |
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| 9184 | |
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| 1985 | |
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| 1985-1987 | |
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| 1987-1988 | |
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| 1989 | |
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| 1992 | |
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| 1996 | |
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| 1999 | |
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| 2000 | |
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カジェタノ・レ・ラミレス(Cayetano Ré Ramírez、1938年2月7日 - 2013年11月26日)は、パラグアイ・アスンシオン出身の元同国代表サッカー選手、元サッカー指導者。ポジションはフォワード。
選手経歴
母国セロ・ポルテーニョでプロデビューを果たすと、1959年にスペインへ渡り、エルチェCFに加入した。当時プリメーラ・ディビシオンに所属していたエルチェだったが、レはヨーロッパ挑戦1年目にしてリーグ戦2桁ゴールを挙げた。2年目と3年目の2桁ゴールは達成できなかったが、アシストやチャンスメイク面でチームに貢献した。
1962年、FCバルセロナに移籍する。バルセロナでは2シーズン目からレギュラーの座を掴み、在籍3シーズン目には25ゴールを記録して、リーグ得点王 (ピチーチ賞)を獲得した。
バルセロナを退団後、1966年にRCDエスパニョール、1971年にはタラサFCに移籍し、CFバダロナで現役を引退した。
また、パラグアイ代表として1958 FIFAワールドカップに出場した。
指導者経歴
現役を引退後すぐにサッカー指導者に転向し、1973-74シーズンからCDエルデンセにて指導者キャリアをスタートさせた。
1985年、パラグアイ代表の監督に就任した。就任後、1986 FIFAワールドカップ南米予選から代表監督としての仕事が始まった。南米予選を見事に勝ち抜いたパラグアイ代表は、実に28年ぶりとなる本大会出場を決める。その本大会のグループリーグではイラク、ベルギー、開催国メキシコと同組になった。初戦のイラク戦では0-1で敗戦、次戦のメキシコ戦は1-1の痛み分け、最終戦のベルギー戦でも2-2と引き分け、ギリギリの状況でグループリーグ勝ち抜けを決めた。ベスト16では格上のイングランドと対戦し、0-3で完敗を喫した。
タイトル
クラブ
- FCバルセロナ
- コパ・デル・ヘネラリシモ : 1回 (1962-63)
- インターシティーズ・フェアーズカップ : 1回 (1965-66)
個人
- ピチーチ賞 : 1回 (1964-65)
外部リンク
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