セロ・ポルテーニョとは? わかりやすく解説

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セロ・ポルテーニョ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/27 08:08 UTC 版)

セロ・ポルテーニョ
Cerro Porteño
原語表記 Club Cerro Porteño
愛称 El Ciclón de Barrio Obrero
El Club del Pueblo
La mitad más uno
Azulgrana
クラブカラー 青・赤
創設年 1912年
所属リーグ パラグアイリーグ
所属ディビジョン プリメーラ・ディビシオン
ホームタウン アスンシオン
ホームスタジアム ヘネラル・パブロ・ロハス
収容人数 45,000
代表者 ラウール・サパグ
監督 フランシスコ・アルセ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

クルブ・セロ・ポルテーニョスペイン語: Club Cerro Porteño)は、パラグアイの首都アスンシオンのアバリオ・オブレーロ地区を本拠地とするサッカークラブである。

概要

1912年創設。プリメーラ・ディビシオンで29回優勝しており、パラグアイでもっとも人気のあるクラブの1つである[1]。ラ・オージャ(鍋)という愛称で知られる約45,000人収容のエスタディオ・ヘネラル・パブロ・ロハスをホームスタジアムとしている。

歴史

クラブ名称は1811年1月19日にブエノスアイレス軍(ポルテーニョス、「港の人」の意味)とパラグアイ軍の間で行なわれた「セロ・ポルテーニョの戦い」に由来している。まだスペインの植民地だったパラグアイ軍はスペイン本国政府に見放されたが、パラグアイ植民地政府によって戦闘が続けられ、ブエノスアイレス軍から大勝利を収めた。この戦闘はセロ・ムバエ(Cerro Mbaé、ムバエの丘)で行なわれ、パラグアイ軍の歴史のハイライトとなった。

1912年10月1日、スサーナ・ヌニェスと若者グループによって設立された。この時期のパラグアイはコロラド党とリベラル党というふたつの政党が激しく対立し、政府が不安定な緊張状態にあった。このため、設立者は両党の政党カラーをクラブカラーに使用することを決定し、パラグアイ人の団結と友好の象徴として、赤色(コロラド党)と青色(リベラル党)がユニフォームに用いられた。やがてシャツには白色も使用され、パラグアイ国旗の三色(赤・青・白)がそろった。1913年に初のリーグ優勝を飾ると、1918年の全国選手権プレーオフではナシオナルと対戦。残り20分の段階で0-2と劣勢だったが、その後4得点を挙げて4-2とし、ナシオナルを逆転して優勝した。この「ゴールの嵐」がシクロン(El Ciclón、ハリケーン)というクラブの愛称の由来である。

プリメーラ・ディビシオンでは29回優勝しているが、国際タイトルを獲得したことはない。コパ・リベルタドーレスでは1973年大会、1978年大会、1993年大会、1998年大会、1999年大会、2011年大会でベスト4となったが、つねに準決勝の壁に阻まれている。コパ・スダメリカーナでは2009年にベスト4となった。

2001年にはトップチーム以下、年齢別の全てのカテゴリで優勝するという快挙を成し遂げた。2008年5月にはオズワルド・アルディレスが監督に就任したが[2]、成績が低迷して8月には解任され、ペドロ・トログリオが後任監督に就任した[3]。2010年のFIFAワールドカップで「美人過ぎるサポーター」として話題になったラリッサ・リケルメはセロ・ポルテーニョのサポーターである[4]。セロ・ポルテーニョのサポーターはセリスタと呼ばれる。

ライバル

最大のライバルはオリンピアリベルタである。オリンピアやリベルタのファンに上流階級が多いのに対して、セロ・ポルテーニョのファンの多くはより低い社会階級であるため、「一般大衆のクラブ」(エル・クルブ・デル・プエブロ)として知られている。このため、セロ・ポルテーニョはパラグアイでもっとも多くのサポーターを持つサッカークラブとされている。オリンピアとの対戦はスーペルクラシコと呼ばれ、パラグアイでもっとも関心を集め、もっとも権威のあるダービーである。

タイトル

国内タイトル

1913, 1915, 1918, 1919, 1935, 1939, 1940, 1941, 1944, 1950, 1954, 1961, 1963, 1966, 1970, 1972, 1973, 1974, 1977, 1987, 1990, 1992, 1994, 1996, 2001, 2004, 2005, 2009アペルトゥーラ, 2012アペルトゥーラ, 2013クラウスーラ, 2015アペルトゥーラ, 2017クラウスーラ, 2020アペルトゥーラ
  • トルネオ・レプブリカ3回
1978, 1991, 1995

国際タイトル

ベスト4 : 1973, 1978, 1993, 1998, 1999, 2011
ベスト4 : 2009

過去の成績

2007年シーズンまではアペルトゥーラとクラウスーラの短期リーグを行なったあとに1位同士が年間優勝決定プレーオフを行なっていた。2008年シーズンからは短期リーグの1位クラブがそのまま優勝扱いとなり、1年間に2つの優勝クラブが誕生する方式に変更された。

シーズン ディビジョン 順位 勝ち点 備考
2006 アペルトゥーラ プリメーラ 2 40 コパ・リベルタドーレスグループリーグ敗退
クラウスーラ 1 52 年間優勝プレーオフでリベルタに敗れた
コパ・スダメリカーナ1回戦敗退
2007 アペルトゥーラ プリメーラ 2 43 コパ・リベルタドーレスグループリーグ敗退
クラウスーラ 2 49
2008 アペルトゥーラ プリメーラ 3 45 コパ・リベルタドーレス1回戦敗退
クラウスーラ 3 45
2009 アペルトゥーラ プリメーラ 1 46
クラウスーラ 6 35 コパ・スダメリカーナベスト4
2010 アペルトゥーラ プリメーラ 2 45 コパ・リベルタドーレスグループリーグ敗退
クラウスーラ 2 46 コパ・スダメリカーナ2回戦敗退
2011 アペルトゥーラ プリメーラ 7 24 コパ・リベルタドーレスベスト4
クラウスーラ 2 43
2012 アペルトゥーラ プリメーラ 1 49
クラウスーラ 4 37 コパ・スダメリカーナベスト8
2013 アペルトゥーラ プリメーラ 3 30 コパ・リベルタドーレスグループリーグ敗退
クラウスーラ

現所属メンバー

2021年6月22日現在

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK ロドリゴ・ムニョス
2 DF サンティアゴ・アルサメンディア
3 DF マルコス・カセレス
4 DF アレクシス・ドゥアルテ
5 DF パブロ・アドルノ
6 MF アルド・マイス
7 MF エンソ・ヒメネス
8 FW フェデリコ・カリーソ
9 FW マウロ・ボセーリ
10 MF フリオ・ドス・サントス
11 FW マテウス
12 GK ミゲル・マルティネス
13 GK ジェアン
15 MF アンヘル・カルドソ・ルセーナ
No. Pos. 選手名
20 MF マティアス・ビジャサンティ
21 DF アラン・ロドリゲス
22 MF クラウディオ・アキーノ
23 DF アルベルト・エスピノラ
24 DF フアン・ガブリエル・パティーニョ
25 GK ホセ・ミエルス
27 FW フレディ・ベラ
28 FW ロナルド・マルティネス
30 FW フェルナンド・オベラール
31 FW ロベルト・モラレス
33 DF ファビアン・フランコ
34 MF アレクシス・ロハス
- MF ラファエル・カラスカル

記録

出場試合数

公式戦通算出場試合数
国内リーグ通算出場試合数
  • 1位 225試合 サルバドール・ブレグリア
  • 2位 215試合 ホルヘ・アチュカーロ
  • 3位 212試合 フリオ・ドス・サントス
  • 4位 201試合 ブラス・マルセロ・クリスタルド
国際カップ通算出場試合数
  • 1位 67試合 アルド・ボバディージャ
  • 2位 64試合 エスタニスラオ・ストルワイ
  • 3位 61試合 ビルヒリオ・フェレイラ
  • 4位 57試合 ブラス・マルセロ・クリスタルド

得点数

公式戦通算得点数
  • 1位 90得点 ビルヒリオ・フェレイラ
  • 2位 88得点 サトゥルニーノ・アルア
  • 3位 70得点 エルウィン・アルバロス
  • 4位 58試合 ホセ・ビンサク
国内リーグ通算得点数
  • 1位 67得点 ビルヒリオ・フェレイラ
  • 2位 64得点 エルウィン・アルバロス
  • 3位 58得点 ホセ・ビンサク
  • 4位 55得点 サトゥルニーノ・アルア
国際カップ通算得点数
  • 1位 23得点 ビルヒリオ・フェレイラ
  • 2位 15得点 サンティアゴ・サルセード
  • 3位 14得点 セリーノ・モーラ
  • 4位 13得点 セサル・アウグスト・ラミーレス

歴代監督

  • シンフォリアーノ・ガルシア 1960
  • ルイス・ベニテス・チラベルト 1960
  • ロヘリオ・ネグリ 1960–1961
  • ヴェッシリオ・バルトリ 1961–1962
  • マリオ・フォルトゥナート 1963
  • モデスト・ブリア 1964–1965
  • マリオ・フォルトゥナート 1966–1967
  • エヒディオ・ランドルフィ 1967–1969
  • サルバドール・ブレグリア 1969
  • シンフォリアーノ・ガルシア 1969
  • マルコス・パヴロヴスキー 1970–1971
  • ダリオ・ハラ・サギエール 1971
  • グラディム 1971
  • サルバドール・ブレグリア 1972
  • ネストル・ロッシ 1972
  • サルバドール・ブレグリア 1972
  • マルコス・パヴロヴスキー 1973–1974
  • サルバドール・ブレグリア 1974
  • シンフォリアーノ・ガルシア 1975
  • マリオ・ゴンサーレス・ベニテス 1975–1976
  • エヒディオ・ランドルフィ 1976
  • サルバドール・ブレグリア 1976
  • エリセオ・バエス・リベイロ 1976–1977
  • サルバドール・ブレグリア 1977–1978
  • エヒディオ・ランドルフィ 1980
  • ウーゴ・ゴンサーレス 1980
  • エヒディオ・ランドルフィ 1980
  • ウーゴ・ゴンサーレス 1981
  • ロブスティアーノ・マシエル 1981
  • ウーゴ・ゴンサーレス 1982
  • ラモン・ロドリゲス 1983
  • オスカル・マルベルナ 1983–1984
  • シルビオ・パロディ 1984
  • サトゥルニーノ・アルア 1984
  • ウーゴ・ゴンサーレス 1984
  • カジェターノ・レ 1985
  • サトゥルニーノ・アルア 1985
  • Peter Mucha 1986

歴代所属選手

GK

DF

MF

FW

脚注

  1. ^ Most people believe that is the most popular ABC.com (スペイン語)
  2. ^ Osvaldo Ardiles will lead to Cerro Porteño Archived 2008年12月3日, at the Wayback Machine. Geo Futbol、2008年4月29日
  3. ^ Troglio replace Ardiles Sportsya
  4. ^ Larissa Riquelme celebrates Cerro Porteno title Goal.com、2012年7月9日

外部リンク


セロ・ポルテーニョ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/26 05:27 UTC 版)

セルヒオ・ディアス」の記事における「セロ・ポルテーニョ」の解説

2008年からセロ・ポルテーニョのユースチーム加入2014年15歳のときにトップチーム昇格し、6月27日プロデビュー果たした

※この「セロ・ポルテーニョ」の解説は、「セルヒオ・ディアス」の解説の一部です。
「セロ・ポルテーニョ」を含む「セルヒオ・ディアス」の記事については、「セルヒオ・ディアス」の概要を参照ください。

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