ロベルト・エラディオ・フェルナンデス・ロアとは? わかりやすく解説

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ロベルト・エラディオ・フェルナンデス・ロア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/14 09:20 UTC 版)

ロベルト・フェルナンデス
名前
本名 ロベルト・エラディオ・フェルナンデス・ロア
愛称 エル・ガト(猫)
ラテン文字 Roberto Eladio Fernández Roa
基本情報
国籍 パラグアイ
生年月日 (1954-07-09) 1954年7月9日(69歳)
出身地 アスンシオン
身長 192cm
体重 82kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1973-1976 リーベル・プレート
1976 バレンシア 2 (0)
1976-1978 エスパニョール 31 (0)
1978-1984 セロ・ポルテーニョ 182 (0)
1984-1986 デポルティーボ・カリ 32 (0)
1988 リベルタ
1989-1991 セロ・ポルテーニョ
1991-1993 インテルナシオナル 12 (0)
1994 パルメイラス 4 (0)
1995-1997 セロ・ポルテーニョ
代表歴
1976-1989  パラグアイ 78 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ロベルト・エラディオ・フェルナンデス・ロアスペイン語: Roberto Eladio Fernández Roa1954年7月9日 - )は、パラグアイの元サッカー選手。元パラグアイ代表。ポジションはGK

セーブの際に体が非常によく伸びた事からエル・ガト(El Gato、「猫」の意)の愛称で呼ばれた。

クラブ歴

17歳の時にクルブ・リーベル・プレートでプロ選手となった。1976年にバレンシアCFに、同年RCDエスパニョールに移籍。

1978年にパラグアイに復帰しセロ・ポルテーニョに加入。1984年にデポルティーボ・カリに移籍した。

1988年にクラブ・リベルタに加入。1989年にセロ・ポルテーニョに復帰。

1991年にSCインテルナシオナル、1994年にSEパルメイラスに移籍した。

1995年にセロ・ポルテーニョに再び復帰し引退した。

代表歴

1976年3月10日に行われたコパ・デル・アトランティコのウルグアイ代表戦でA代表初出場[1]。1979年にはコパ・アメリカ1979で優勝した[2]1986 FIFAワールドカップでは4試合全てに出場し、メキシコのウーゴ・サンチェスのペナルティキックを止めて試合を1-1の引分に持ち込んだ。

代表では正ゴールキーパーを長く務め、彼のライバルとなったのはエベル・ウーゴ・アルメイダ・アルマダのみであった。しかし1989年に差し掛かるとホセ・ルイス・チラベルトが台頭したため、控えに回った。

選手引退後

引退後はプロになったリーベル・プレートでスポーツディレクターを務めた。

家族

息子のロベルト・フニオール・フェルナンデス・トーレスもパラグアイ代表のサッカー選手。

参考文献

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