エベル・ウーゴ・アルメイダ・アルマダとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > エベル・ウーゴ・アルメイダ・アルマダの意味・解説 

エベル・ウーゴ・アルメイダ・アルマダ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/18 16:21 UTC 版)

エベル・ウーゴ・アルメイダ
名前
本名 エベル・ウーゴ・アルメイダ・アルマダ
ラテン文字 Ever Hugo Almeida Almada
基本情報
国籍 パラグアイ
ウルグアイ
生年月日 (1948-07-01) 1948年7月1日(75歳)
出身地 サルト
身長 178cm
選手情報
ポジション GK
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1967-1971 セロ 128 (0)
1972 グアラニー 12 (0)
1973-1991 オリンピア 298 (0)
代表歴
1975-1985  パラグアイ 22 (0)
監督歴
1992 ナシオナル
1993 オリンピア
1996 スポルティボ・ルケーニョ
1997-1998 ソル・デ・アメリカ
1999  パラグアイ
2000 ソル・デ・アメリカ
2001-2004 ムニシパル
2004-2007 エル・ナシオナル
2008 バルセロナSC
2008-2009 オリンピア
2009-2010 ナシオナル
2010-2013  グアテマラ
2013-2014 オリンピア
2015-2017 リベルタ
2017 オリンピア
2017 ムニシパル
2018 ソル・デ・アメリカ
2019 リオネグロ・アギラス
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

エベル・ウーゴ・アルメイダ・アルマダスペイン語: Ever Hugo Almeida Almada1948年7月1日 - )は、パラグアイウルグアイの元サッカー選手、現サッカー指導者。元パラグアイ代表選手、元パラグアイ代表監督、元グアテマラ代表監督。選手時代のポジションはGK

クラブ歴

ウルグアイサルト県サルトに生まれた。1967年にCAセロで選手となった。

1972年にクラブ・グアラニーに移籍。翌年オリンピア・アスンシオンに移籍すると20年弱をこのクラブで過ごし引退した。オリンピアではコパ・リベルタドーレスに113試合出場[1]1979年大会と1990年大会では同大会優勝を記録。また、インターコンチネンタルカップを1979年に、スーペルコパ・スダメリカーナを1990年に、レコパ・スダメリカーナ1991のタイトルもオリンピアで獲得した、オリンピア全盛期を支えた選手であった。特にペナルティキックのセーブには秀でており、彼のセービングもあってこその国際タイトル獲得であった。

代表歴

ウルグアイ出身であるが、パラグアイに帰化。パラグアイ代表として代表に出場した。しかし、ロベルト・フェルナンデスがいたために出場機会はあまり多くは無かった。

監督歴

選手引退後はスポーツ紙で働いていたが、後に指導者に転身した。オリンピア、クラブ・ナシオナル、クルブ・ソル・デ・アメリカ、CSDムニシパルでは複数回監督を務めた他、パラグアイ代表監督としてコパ・アメリカ1999に、グアテマラ代表監督として2011 CONCACAFゴールドカップに出場した[2][3][4]

参考文献

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  エベル・ウーゴ・アルメイダ・アルマダのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「エベル・ウーゴ・アルメイダ・アルマダ」の関連用語

エベル・ウーゴ・アルメイダ・アルマダのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



エベル・ウーゴ・アルメイダ・アルマダのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのエベル・ウーゴ・アルメイダ・アルマダ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS