ディエゴ・ガビランとは? わかりやすく解説

ディエゴ・ガビラン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/03 08:26 UTC 版)

ディエゴ・ガビラン
名前
本名 ディエゴ・アントニオ・ガビラン・サラテ
Diego Antonio Gavilán Zarate
愛称 pampero
カタカナ ディエゴ・ガビラン
ラテン文字 Diego Gavilán
基本情報
国籍 パラグアイ
生年月日 (1980-03-01) 1980年3月1日(45歳)
出身地 アスンシオン
身長 176cm
選手情報
ポジション MF
代表歴
1999-2007 パラグアイ 43 (0)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ディエゴ・ガビラン (Diego Gavilán) こと、ディエゴ・アントニオ・ガビラン・サラテ(Diego Antonio Gavilán Zarate, 1980年3月1日 - )は、パラグアイアスンシオン出身の元サッカー選手。サッカー指導者。パラグアイ代表である。ポジションはミッドフィールダー(センターハーフ)。

経歴

19歳の時にイングランドプレミアリーグニューカッスル・ユナイテッドFCと契約し、パラグアイ人として初めてイングランドでプレーする選手となった[1]サンダーランドAFC戦でデビューし、試合は2-2の引き分けた。2000年4月にコヴェントリー・シティFC戦でリーグ戦初ゴールを決め、2-0での勝利に貢献した。 その後は出場機会に恵まれず、2001年12月、メキシコのクラブUniversidad Autónoma de Guadalajara(現テコスFC)にレンタル移籍した[2]。 2003年にはブラジルのSCインテルナシオナルに移籍。

ガビランはガリー・スピードの死に際してニューカッスルへの移籍後イングランドでの生活が落ち着くようにしてくれたことやまるで父親のように接してくれたこと、2002 FIFAワールドカップのパラグアイ代表のメンバーに選ばれたことを祝福してくれた、と明らかにした[3]

所属クラブ

2002-2003 → テコス・デ・ラUAG(loan)
2003 → SCインテルナシオナル (loan)
2003-2004 → ウディネーゼ・カルチョ (loan)

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 43試合 0得点(1999年-2007年)[4]


パラグアイ代表 国際Aマッチ
出場 得点
1999 8 0
2000 4 0
2001 5 0
2002 7 0
2003 5 0
2004 5 0
2005 4 0
2006 2 0
2007 3 0
通算 43 0

指導歴

  • 2014 クルブ・オリンピア・デ・イタ
  • 2015 クルブ・スポルト・コロンビア
  • 2015 インデペンディエンテFBC
  • 2016 クルブ・オリンピア・デ・イタ
  • 2017 デポルティボ・カピアタ
  • 2017 スポルティボ・トリニデンセ
  • 2017 クルブ・ソル・デ・アメリカ
  • 2018 デポルティボ・カピアタ
  • 2018-2019 ECペロタス
  • 2023 セロ・ポルテーニョ

脚注

出典

外部リンク





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