エドガル・バレートとは? わかりやすく解説

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エドガル・バレート

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/12 14:53 UTC 版)

エドガル・バレート
名前
本名 エドガル・オスバルド・バレート・カセレス
Edgar Osvaldo Barreto Cáceres
ラテン文字 Edgar BARRETO
基本情報
国籍 パラグアイ
イタリア
生年月日 (1984-07-15) 1984年7月15日(40歳)
出身地 アスンシオン
身長 182cm
体重 78kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
セロ・ポルテーニョ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2002-2003 セロ・ポルテーニョ 26 (49)
2004-2007 NEC 95 (10)
2007-2009 レッジーナ 68 (5)
2009-2011 アタランタ 33 (2)
2011-2015 パレルモ 122 (7)
2015-2020 サンプドリア 104 (3)
2020-2022 NEC 47 (4)
通算 495 (34)
代表歴
2001 パラグアイ U-17 3 (0)
2003 パラグアイ U-20 4 (0)
2004 パラグアイ U-23 6 (0)
2004-2011 パラグアイ 60 (3)
獲得メダル
男子 サッカー
2004 サッカー
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

エドガル・オスバルド・バレート・カセレス(Edgar Osvaldo Barreto Caceres, 1984年7月15日- )は、パラグアイアスンシオン出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィルダー。元パラグアイ代表。

ボール奪取能力に長け、攻守にアクセントをつけられる選手[要出典]。パラグアイ代表ゴールキーパーディエゴ・バレートは実兄。

経歴

クラブ

2002年にセロ・ポルテーニョにてデビュー。コパ・リベルタドーレスも経験した。将来性を評価され、デビューから1年後にはオランダNECに移籍。オランダで3年間レギュラーとしてプレーした後、2007年イタリアレッジーナと4年契約を結んだ。チームのセリエB降格にともない、移籍金450万ユーロでアタランタBCへ移籍した。しかし怪我でほとんど試合に出ることができず、さらにクラブも降格を喫した。翌シーズンは2部で主力としてトップリーグ復帰に貢献し、2011年8月31日、移籍市場閉鎖直前にパレルモへ移籍することになった[1]

2015年7月1日、USチッタ・ディ・パレルモに移籍。

2020年7月15日、NECに復帰した。

2022年5月15日、現役引退を表明した。

代表

早くからパラグアイ代表に招集されている。2004年のアテネオリンピック代表として、同大会準優勝、銀メダル獲得を果たした。A代表としても2004年、2007年、2011年のコパ・アメリカ、2006年と2010年のワールドカップでプレーした。

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 60試合 3得点(2004年-2011年)[2]


パラグアイ代表 国際Aマッチ
出場 得点
2004 6 0
2005 6 1
2006 6 0
2007 14 1
2008 10 0
2009 5 0
2010 5 1
2011 8 0
通算 60 3

脚注

外部リンク




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