ルイス・レゲイロとは? わかりやすく解説

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ルイス・レゲイロ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 02:47 UTC 版)

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はレゲイロ第二姓(母方の)はパゴーラです。(Template:スペイン語圏の姓名
ルイス・レゲイロ
名前
本名 ルイス・レゲイロ・パゴーラ
Luis Regueiro Pagola
愛称 El Corso (コルシカ島の男)
ラテン文字 Luis Regueiro
基本情報
国籍 スペイン
生年月日 (1908-07-01) 1908年7月1日
出身地 イルン
没年月日 1995年12月6日(1995-12-06)(87歳)
選手情報
ポジション DF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1924-1931 レアル・ウニオン 53 (37)
1931-1936 レアル・マドリード 92 (53)
1938-1939 エウスカディ 10 (7)
1940-1942 アストゥリアス
1942-1944 クラブ・アメリカ
代表歴
1927-1936 スペイン 25 (16)
1937-1938 バスク 40
監督歴
1942-1945 クラブ・アメリカ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ルイス・レゲイロスペイン語: Luis Regueiro, 1908年7月1日 - 1995年12月6日)は、スペインバスク州イルン出身の元サッカー選手、元サッカー指導者。しばしば愛称のエル・コルソ(スペイン語: El corzo)と呼ばれた。元スペイン代表

経歴

バスク地方ギプスコア県イルン出身。イルンに本拠地を置くレアル・ウニオンからデビューすると、1931年から1936年までマドリードCF(現・レアル・マドリード)でプレーし、92試合に出場して53得点を記録した。1936年にスペイン内戦が勃発するとメキシコに渡り、1938-39年にはCDエウスカディ英語版のメンバーとしてメキシコのプリメーラ・フエルサ(プロ化前のアマチュアリーグ)でプレーした。このチームは実質的なバスク地方選抜であり、アスレティック・ビルバオやレアル・マドリードの元所属選手が多く名を連ねている。最年長の30歳だったレゲイロはキャプテンを務めた。1939年からはやはりプリメーラ・フエルサで、外国人選手などで構成されたアストゥリアスFC英語版でプレー[1]。1942年から1944年にはクラブ・アメリカでプレーし、1943年のプリメーラ・ディビシオン(プロリーグ)設立に立ち会っている[2]

1943年にメキシコで生まれた息子のルイス・レゲイロ・ウルキオラ英語版もサッカー選手となった。レゲイロ・ウルキオラは中盤でプレーした創造的な選手であり、1966年のイングランドワールドカップメキシコ代表として出場している。

スペイン代表

スペイン代表としては25試合に出場して16得点を記録しており、1928年にはアムステルダムオリンピックに、1934年にはイタリアワールドカップに出場した。

1928年にはオランダのアムステルダムで開催されたアムステルダムオリンピックに参加した。1回戦のメキシコ戦で2得点を挙げたが、スペイン代表は準々決勝でイタリア代表に敗れた。2得点はホセ・マリア・イェルモ英語版(4得点)に次いでチーム2位の得点数である。1934年のイタリアワールドカップでは初戦でブラジル代表に勝利したが、レゲイロは控えだった。準々決勝のイタリア戦には先発出場し、レゲイロは30分に先制点を決めたが、1-1と決着がつかなかった。翌日の再試合にも出場したが、スペイン代表は0-1で敗れた。

タイトル

代表での得点

スコアはスペインの得点を左に記している。

# 日付 場所 相手 スコア 結果 大会
1. 1928年5月30日 オリンピスフ・スタディオンアムステルダム、オランダ  メキシコ 1–0 7–1 アムステルダム五輪
2. 3–0
3. 1930年6月22日 ボローニャ、イタリア  イタリア 1–0 3–2 親善試合
4. 3–1
5. 1931年12月13日 ダブリン、アイルランド  アイルランド 3–0 5–0 親善試合
6. 5–0
7. 1932年4月24日 オビエド、スペイン  ユーゴスラビア 1–0 2–1 親善試合
8. 1933年6月21日 マドリード、スペイン  ブルガリア 8–0 13–0 親善試合
9. 12–0
10. 1934年3月11日 マドリード、スペイン  ポルトガル 4–0 9–0 イタリアワールドカップ・予選
11. 6–0
12. 1934年6月21日 アルテミオ・フランキフィレンツェ、イタリア  イタリア 1–0 1–1 イタリアワールドカップ
13. 1935年1月24日 マドリード、スペイン  ブルガリア 1–0 2–0 親善試合
14. 1936年1月19日 マドリード、スペイン  オーストリア 2–4 4–5 親善試合
15. 4–4
16. 1936年2月23日 バルセロナ、スペイン  ドイツ 1–2 1–2 親善試合

脚注

  1. ^ Juan Cid y Mulet: Libro de Oro del Fútbol Mexicano, Tomo II, B. Costa-Amic, Mexiko-Stadt, 1961, p. 350
  2. ^ Francisco Lugo, Erik (2010年9月24日). “CF América”. RSSSF. 2016年9月15日閲覧。

外部リンク




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