バス事業再開と戦後復興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 08:05 UTC 版)
神中鉄道を合併した相模鉄道は、1945年の太平洋戦争終戦後に大東急を離脱し、他の電鉄系グループに属さない独立系の鉄道会社となった。 終戦後まもない1949年には乗合バス事業を再開し、相鉄本線沿線の横浜市内を中心にゼロからスタートした。翌1950年には最初のバス営業所となる二俣川営業所を新設し、二俣川 - 保土ケ谷間で乗合バス事業を開始した。1952年には貸切バス事業を開始し、二俣川営業所に貸切バス営業所を開設している。戦後の復興とともに貸切バス事業は発展し、東京営業所を開設して都内に営業拠点を拡げた。 乗合バスの路線も、営業所を置いた二俣川を拠点に、横浜駅方面などへ次々と開業し、相鉄沿線にバス路線網を築いてゆく。これに伴い、1957年には乗合バス三ツ沢営業所を新設。1959年には二俣川営業所の車庫として設置した相模大塚車庫を大和営業所に昇格させ、乗合バス・観光バスの営業所とした。
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