ハーンの弑逆、即位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 05:59 UTC 版)
1388年(天元10年/洪武21年)、高原東部のホロンボイル地方ブイル・ノールでウスハル・ハーン(天元帝トグス・テムル)が明朝の将軍の藍玉に大敗するという大事件が起こった(ブイル・ノールの戦い)。これを好機と見たイェスデルはハーンに対する反乱を起こし、西方のカラコルムを目指してわずか16騎で落ち延びていたトグス・テムルをトーラ川の河畔で突如襲撃した。ハーンはわずかな従者とともに逃げ延びたが、イェスデルは更にホルフダスン大王らを派遣してこれを捕らえた。イェスデルはトグス・テムルを縊り殺すと、自らハーンに即位し、先祖アリクブケがトグス・テムルの先祖クビライとハーン位を争った内戦(モンゴル帝国帝位継承戦争)以来百数十年ぶりに、アリクブケ家にハーン位を取り戻した。なお、『華夷訳語』によるとこの時アリクブケを支援したのは帝位継承戦争の頃よりアリクブケと縁の深いオイラト部族であった。
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