ハンガリー動乱の再評価とナジの名誉回復
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「ハンガリー民主化運動」の記事における「ハンガリー動乱の再評価とナジの名誉回復」の解説
1989年6月にはネーメト政権はハンガリー動乱で処刑されたナジ・イムレ元首相の名誉回復と改葬を許可した。ハンガリー動乱の評価を抜きにハンガリーの無血の民主化を語ることはほぼ不可能であったのである。これを巡って、かねがね改革の方法に違いのあった穏健改革派のグロースと急進改革派のニエルシュ、ネーメト、ポジュガイらの間に対立が生じ、政治局会議ではナジの葬儀への参加を表明したポジュガイとあくまでもナジは反乱分子であったという公式見解にこだわるグロースが口論になった。ポジュガイがグロースにネーメトは首相としての公式の資格で参列するはずだと言うと、グロースは激高し「ネーメトは首相かもしれないが、ハンガリー社会主義労働者党の書記長は、このグロースだ。すべての権限はこのグロースが握っているんだ!」」と言ったものの、最後には「行きたいなら、行け!勝手にしろ!」と怒鳴って部屋を出て行った。6月16日、ナジの改葬式が行われ、野党の幹部や犠牲者の家族と共にポジュガイやネーメトも参列した。
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