ハリー・シェル(アメリカ)
パリに住んで盛んにラリーやロードレースに参加していたアメリカ人オライリー・シェル夫妻(1935年のモンテカルロラリーで2位入賞)の息子。父親は戦争直前に交通事故で世を去ったが、その後もレースチームの運営を続けた母親ルーシーのもとで、育った。こうした環境のなかで自然にレーシングドライバーを志し、クーパー500で走っているときに認められた。そしてHWMを手始めにエンリコ・プラテのマセラティ、ゴルディーニ、バンウォール、マセラティ・ファクトリー、BRMと多くのチームでレースを続けた。不必要なリスクはあえてしない、というのが身上であったから、グランプリの最上位は58年のオランダGPの2位(マシンはBRM)。しかし、耐久レースでは56年のニュルブルクリンク1000kmにピエロ・タルフィーと組んで優勝。シルバーストンの雨中のプラクティスで事故死。
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