ハッキネンとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 01:57 UTC 版)
サロはカート時代から2歳年下のミカ・ハッキネンとライバル関係にあり、「ふたりのミカ」として才能を比較された。出生地も同じヴァンター(Vantaa)市マルティンラークソであり、それぞれの生家は道路を1本挟んだだけの近さであった。現在、彼らが少年時代を過ごしたこの地域は“MIKA-MIKA-LAND”と呼ばれ、ヘルシンキ市近郊のちょっとした観光スポットになっている。 サロは1988年にフォーミュラ・フォード1600ヨーロッパチャンピオンを獲得。1989年、アラン・ドッキング・レーシングよりイギリスF3選手権に参戦する。1990年はハッキネンとふたりでイギリスF3を席巻し、サロは6勝を挙げるが、タイトルは9勝したハッキネンのものとなる。マカオGPではハッキネンが優勝目前でクラッシュし、サロは優勝したミハエル・シューマッハに次ぐ総合2位を獲得した。 当初、ハッキネンは国際F3000選手権にステップアップする予定であり、サロも結果的にはF3000にステップアップしたため、予定通りであったなら似たようなキャリアとなるはずだった。ところが、ハッキネンがF3000のマシンのテスト走行を体験した際、そのマシンを酷評したため、ハッキネンのマネージャー、ケケ・ロズベルグが計画を変更。名門ではあったが存続の危機に瀕していたチーム・ロータスのシートを確保してF1デビューを決断したのに対し、サロはF1のシートを見つけられなかったうえ、国際F3000選手権へのステップアップもできず、その後の両者のキャリアは明暗が分かれた。
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