ノイエンガンメ強制収容所の看守
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 16:09 UTC 版)
「アンネリーゼ・コールマン」の記事における「ノイエンガンメ強制収容所の看守」の解説
1944年11月4日、親衛隊女子軍属(ドイツ語版)として招集を受ける。この際、強制収容所看守として勤務するまでの猶予期間を求めることもできたが、コールマンはこれを利用しなかった。配属先はノイエンガンメ強制収容所の外部収容所であるノイグラーベン収容所で、ハンブルクで建築および清掃作業に従事するユダヤ人女性収容者の監督に従事した。1945年2月8日、女性収容者がノイグラーベンからティーフスタック外部収容所に移送されたことに伴い、コールマンもティーフスタックでの看守勤務に移った。ボーイッシュな外見のため、収容者からは「坊や」(Bubi)と通称された。彼女は「規則違反」(Fehlverhalten)を口実に、監督下の労働班(Arbeitskommandos)に所属する女性収容者を頻繁に殴りつけていた。労働班に所属するチェコ人女性収容者ロッテ・ヴィンター(Lotte Winter)ことロッテ・ヴィントロバ(Lotte Winterová)と親密になり、やがて恋に落ちた。少なくともコールマンは、2人が本当に恋愛関係にあると信じていた。この時期、コールマンがヴィンターと共に過ごし、触れ合い、キスを交わすところを複数の収容者が目撃している。また、コールマンは時に収容者宿舎のヴィンターのベッドで共に夜を過ごしたとも言われている。しかし、看守だけではなく、少なからぬ収容者が彼女らのような同性愛者への嫌悪と軽蔑を隠さなかった。1945年4月7日、ティーフスタック収容所が閉鎖され、コールマンはベルゲン・ベルゼン強制収容所への移送を監督した。引き渡しの後、コールマンは所長ヨーゼフ・クラーマーに看守として収容所に留まりたい旨を申し出たものの拒否された。
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