ニシン・イワシ漁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 22:00 UTC 版)
当時、北海道ではニシン漁が盛んに行われており、特に明治時代に入って松前藩による漁の制限がなくなると、家族経営の刺網、網元以下数十人から数百人の規模で行われるニシン定置網が行われるようになり、大きく発展した。獲れたニシンは生食用、あるいは身欠きニシン、干し数の子など保存食、さらに高級肥料の〆粕に加工されたが、〆粕は製造の際にニシンを大釜で茹でる必要があり、薪の採集を目的として沿岸部を中心に山林が伐採された。砂坂海岸は砂浜であったためニシンの群来(くき)は無かったものの、代わりに地引網によるイワシ漁がおこなわれ、ニシン同様に〆粕加工へと回され、その燃料として砂坂海岸林が伐採の対象とされた。さらに寒冷地ゆえ冬季には暖房のために多くの薪を必要とし、伐採に拍車がかかった。このため沿岸から離れた内陸の山林がほぼ原生的な状態を保っていたのに対し、道南地域は沿岸部を中心にはげ山が広がっていた。伐る木が無くなれば根株まで掘り起こされ、さらには放火までされ、荒れ地の増大に拍車をかけた。
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