ナッソーの海賊に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 08:44 UTC 版)
「ポールスグレイブ・ウィリアムズ」の記事における「ナッソーの海賊に」の解説
バイーヤ・ホンダから去ってしばらく、ベラミーとウィリアムズはジェニングスが追っていたホーニゴールドと出会う。2人はホーニゴールドの海賊団に加わり、ベラミーはホーニゴールドが鹵獲していたマリアンヌ号の船長を任されることになった。さらに数週間後、一行はラ・ブーシュことオリビエ・ルバスール船長のポスティリオン号と遭遇し、彼らも仲間に加わった。一行は巨大な一味に膨れ上がったが、それによって問題も生じた。ホーニゴールドは私掠船として母国である英国のために戦ったことを誇りに思っており、戦争が終結した後でもその忠誠心を失っていなかった。ホーニゴールドが英国籍の船舶は決して襲おうしなかったため、それを他の乗組員たちは不満に思っていた。8月、遭遇した英国船を襲うことにホーニゴールドが反対し、再びその問題が持ち上がった時、乗組員たちは投票によって彼の代わりにベラミーを船長にすることを決めた。これにより、ホーニゴールドと彼を支持した26人の乗組員たちはスループ船を与えられてナッソーに帰島し、ベラミーと200人に及ぶその支持者たちは何の制約もない新たな航海に乗り出した。 ベラミーとラ・ブーシュの一味はその後の数か月で多数の戦果をあげた。11月にはセントクリストファー島付近で砲26門で武装した英国船スルタナ号を拿捕し、ベラミーはこれを旗艦として、マリアンヌ号の指揮はウィリアムズに任せた。その後、ラ・ブーシュは自らの道を進むために一味から離脱する。
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