トラミエル社長の失脚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 07:12 UTC 版)
彼はすぐさま新会社 Tramel Technology(トラメル・テクノロジー。トラミエル社長の名前は本来「トラメル」と発音するのであったが、コモドール時代は誰もその発音では呼んでくれなかったために新会社の名前を「トラメル」とした) を設立し、コモドールで次世代コンピュータを開発していた開発者の多くを引き抜いてしまった。 トラミエルの動きは素早く、トラメル・テクノロジーでの新ハード設計は1984年6月にはほとんど完了していた(コモドールから引き抜いた技術者が寄与したと見られる)。そして1984年7月にはかつてのライバルであったアタリのコンシューマ部門を買収する。当時「コモドールとの低価格競争に敗れたアタリは毎日1万ドルの損失を出し続けており、親会社のワーナーはアタリを売却したいと考えている」という噂が流れていた。トラメル・テクノロジーはコモドールからスピンオフしたメンバーを多く抱えるとはいえ所詮新興企業であり、全国的な製造・流通・販売網を持たなかったが、トラミエルはアタリの持つ海外製造拠点と世界的販売網を利用するためにワーナーと交渉し、アタリのコンシューマ部門を獲得したのである。こうしてトラメル・テクノロジーはアタリコープとなった。 トラミエルが新会社アタリコープを立ち上げると、コモドールからアタリコープへと転職する管理職や研究者が続出したため、コモドールは同年7月末に元コモドールの技術者4人が企業秘密を盗んだとして訴えた。これはトラミエルが新たなコンピュータをリリースするのを妨害することを意図したものである。コモドールはトラミエルの新ハードに対抗しうるハードを出そうにも、ほとんどの技術者がトラミエルに付いて退職してしまったためにそのような開発力がなくなってしまい、とりあえずトラミエル側に訴訟を仕掛けると同時に、外部企業の買収の話を進めていた。ここで登場するのがAmiga社である。
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