トマスの存在の恩寵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 00:26 UTC 版)
しかし、「善の欠如としての悪」とは常識的に不可解であり、合理的とは思えない。そもそも「神の無限の愛」すなわちアガペーとは何であるのか、哲学的・神学的には、大きな問題を含んでいた。 これに対し、中世西欧においては、教父・神学者たちが数知れぬ議論を行った。13世紀の聖トマス・アクィナスは、イブン・ルシュドのアラビア・スコラ哲学をモデルに、その反論としての壮大な神学大系を築き、神の愛とは、事物(レース)に対する「存在(エッセ、Esse)」の無償の付与にあるとする見解を明示した。世界と事物、人間は、存在するという事実において、神よりの「エッセ(存在)」の無償の恵みを受けているのである。しかし、人の存在は信仰によって条件付けられる。存在することは、それ自体が「善」であり、存在物(レース)における「エッセの欠如」は即ち「無」である。最悪の悪は「無」であり、この世に現象的に悪が存在するとしても、それは存在の恩寵の上で、見かけの現象として現れているものである。世界や事物、人間がまさに存在しているという事実にこそ、神の無限の愛と恩寵、すなわちアガペーの顕現が見られるのである。
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