デルタ・ブルース博物館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/17 07:24 UTC 版)
「クラークスデール (ミシシッピ州)」の記事における「デルタ・ブルース博物館」の解説
1979年後半、カーネギー公共図書館支配人シド・グレイブスが、一連の展示を始めたものが後にデルタ・ブルース博物館の核になった。グレイブスは、無関心な町と扱いにくいことの多い図書館理事会の面前で、独力で博物館の始まりを育て、時には図書館のスペースを断られ、自家用車のトランクに展示物を収めたこともあった。できたばかりの博物館が、ハワード・ストーバル・ジュニアとの接触を経て、ロックバンド、ZZトップのビリー・ギボンズに偶々発見されたことが、このバンドのペット・プロジェクトとしてデルタ・ブルース博物館に全国の注目を集めさせることになり、全国的な認知を得るにいたった。 1995年、当時クラークスデールでは唯一の見どころだったこの博物館が、新しく改修された図書館の大きな部分を含むようになったが、依然としてカーネギー公共図書館理事会のきつい支配下にあり、理事会はグレイブスが重病になったときにクビにした。グレイブスは2005年1月にハッティズバーグで死んだ。改修された図書館から移転する中で、1996年の大半は、政治的に繋がりのあった元ウィスコンシン生まれのロン・ゴーセングナーの指導下に、デルタ・アベニューの転換された小売店にあった。1997年から1998年、コアホマ郡が別の博物館理事会を結成する費用を提供し、主に社会的に著名になった地元白人ブルースファンで構成された。理事会は隣接するイリノイ・セントラル鉄道の貨物駅を改修し、恒久的なデルタ・ブルース博物館とすることになった。
※この「デルタ・ブルース博物館」の解説は、「クラークスデール (ミシシッピ州)」の解説の一部です。
「デルタ・ブルース博物館」を含む「クラークスデール (ミシシッピ州)」の記事については、「クラークスデール (ミシシッピ州)」の概要を参照ください。
- デルタ・ブルース博物館のページへのリンク