チューリップと海援隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/07 20:03 UTC 版)
照和では1970年代初期、チューリップと海援隊が最も人気があったとされていて、海援隊の武田鉄矢は、著書でチューリップをライバルと書いているほどだった。 しかし、チューリップのメジャーデビューが決定、海援隊のドラマーだった上田雅利が、その力量を財津和夫に認められて、チューリップに引き抜かれることになり、海援隊は一時解散状態となった。当時、チューリップは、照和の閉店後、午後11時から翌朝7時まで店を借りて、猛練習をしていたという。 同じ頃、千葉和臣・姫野達也による、ライラックも解散。理由としては、姫野がチューリップに入ったことが原因といわれている。残された千葉は、その美声とギターの上手さで、後に海援隊のリードギターを担当することになる。その後、海援隊もメジャーデビュー。海援隊は、武田鉄矢(vo,per,三味線)・中牟田俊男(g、Vo)・千葉和臣(g、Vo)の3人で、チューリップは、財津和夫(Vo、Key、P、g)・姫野達也(Vo,Key,g)・上田雅利(d)・吉田彰(b)・安部俊幸(g)の5人で、それぞれ照和を旅立つことになる。 武田によれば、チューリップの照和での練習中、コーラスのハーモニーを乱したメンバーがいると、財津はメンバーに間違えたことを白状させた上、顔面を平手打ちするなどの鉄拳制裁を加えていたという。 また財津は、この時期の武田のことを「彼は曲の途中で『とんぼを切る』のが上手くてね」と語っている(「HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP」出演時)。
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